ほぼ足りてまだ欲 その先

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右といったら

 NHKの某経営委員の発言については目に余るものがある。何よりも品位がない。何をいっても良いわけではない。彼が書いたベストセラーに某非上場石油会社の創業者についてのものがあるが、あれがおべんちゃら本、ヨイショ本である事は、あの爺さんの事を知っている人であればわかっていた事だっただろう。今度のやしきたかじんの本についても様々な事がいわれていて、その裏側はスキャンダルとして朝のワイドショーででも語られる分には良いかもしれない。
 しかし、その親方なのか、先輩なのか知らないけれど、やっぱり安倍晋三が派遣したNHK会長の「お上が右だというものを左というわけにはいかないでしょ」といった言葉は非常に問題が大きい。今更いう事ではないが、ジャーナリズムが時の権力が間違った方向性を取ろうとしている時に、その主張をそのまま再生産拡散するのであれば、それはもうすでにジャーナリストとしての作業ではない。それは広報機関がするべき事であって、何たら学会の何たら新聞とか、自由何とか党の何たら新報であればそれはそれでかまわない。何たら学会の何たら新聞なんぞは大きな社会的事件があっても何たら学会の何たら部部長がどこそこでこんな事をした、が一面に大きな字で報じられたりしているんだから、あれは当然ジャーナリズムではない。ま、いってみれば私が中学二年の時にガリ版で作っていたクラス新聞のようなものだ。ちなみに「男子、バレーボールで惜敗 学年クラス対抗」とタイトルをつけて、当時の先生からお褒めをいただいた。
 しかし、仮にも視聴者から金を取って放送している媒体は時の権力者のいいなりになってはいけない。権力を批判できない媒体は広報機関に過ぎない。だから、フジサンケイの新聞とか、野球界さえ牛耳っていれば機嫌が良い主筆が馬鹿殿をやっている野球新聞なんてのはいくら部数が出ていても(しかもその部数すら怪しい)広報紙に過ぎない。
 しかし、寄らば大樹の陰、長いものには巻かれろ、泣く子と地頭には勝てぬ、ので、みんな人が良いのである。沖縄の人々には頭が下がる。鹿児島県議会はお恥ずかしい限りだ。