ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

事はそう簡単なことじゃない

 自民党が各放送局に「公平にやれよ」と自民党記者クラブに所属している各テレビ放送キー局の担当者を呼び、いちいち書面を渡して念を押したという。NHKは受け取ったか受け取っていないかについて確答をしていない。文書を見るとはなはだ慇懃無礼に下手から出るようなものになっているけれど、実態はそんなに簡単な話じゃない。
 だいたい、記者クラブに所属しているマスコミは警察が隠し金を作っているという実態を追求したら、それをやった新聞社を見殺しにして自分たちはこれに触れずに警察の思う通りにしか動かなかった。挙げ句にその当事者までもが報道を自粛してしまった。そんな過去がある。
 NHKはかつて番組について自民党の代議士から呼びつけられて番組を再編集したという過去を持つ。それでいて呼びつけた連中はしれっとして何ら不正を行ったという意識すら持っていない。そのうちの一人が安倍晋三であったことはまだ多くの人が覚えているんだろうと思う。あの当時に比べたら、ものの見事にNHK自民党に乗っ取られてしまっている。「政府が右だということを左というわけにはいかない」といってうそぶいているのが現在のNHKであるということを忘れてはならない。
 そして、この自民党がマスコミに要望した事実は「良いか、おまえら、もし、自民党を大事に扱わなかったら選挙後の処遇がどんなことになるか、覚えてろよ。あとで吠え面かくことになるぞ」という恫喝そのものだ。なにしろ各テレビ局は5年ごとの免許制でそれまでの免許実績の延長線上にあるわけではなくて、再免許という形になっているそうで、免許を戴く側にいるという弱い立場であることはいうまでもない。
 なにもそんなことをこの文書の中からは伺うことはできないというような報じ方をもし、するようなマスコミがあるとしたら、それは読売日テレか、フジ産経以外にはないだろう。それでなくても、彼らが実際送り出している番組は新聞、テレビ、ラジオを通じて、驚くほどの偏り方だ。
 共産党はこの種の要請を過去にも出したことはあるが、それについてはしんぶん「赤旗」に掲載している、とTBSラジオに答えているが、他の政党はこの種の要請を出したことはないと答えている。
 この要請文の中で具体例には触れないが過去に偏向した事があったとして触れている一件が、今日の各党首共同記者会見の中で安倍晋三が触れて明らかになったのは1993年の椿事件のことであったことが明らかになった。

政治改革に関する調査特別委員会 1993年10月25日

椿貞良 昭和11年10月4日生(当時57歳)(元全国朝日放送株式会社取締役報道局長)

  • 石井一委員長:9月21日に開催された日本民間放送連盟の第六回放送番組調査会に出席して発言されたと聞いておりますが、日本民間放送連盟の放送番組調査会とはどういうものですか。また、その会に出席された経緯について説明してください。
  • 椿証人:まず最初に、民放連の放送調査会で私が行いました不必要、不用意、不適正な発言が皆様に大変御迷惑をおかけしましたことを、最初に心からおわびいたします。今委員長がお尋ねになりました民放連の放送調査会というのは、私の理解では、民間放送の主要な局の編成責任者が集まりまして、自由な立場で放送について意見を述べ、議論をする会だというふうに受け取っております。その会には、放送をよく御存じの方々、有識者の方々を外部委員としてお招きしておりまして、そこで自由闊達に意見を交換する勉強会だというふうに私は理解をしております。そういう意味で、この調査会はお互いに個人の立場で自分の考えを発表する会でございまして、そういう意味で、その会で話された事柄は外部に公示されないというふうに理解しております。といいますのは、その勉強会で話しましたことが外部にそのまま漏れますと、自由な発言とか自由な討議が阻害されるわけでありますから、そういう意味で、私は、今回極めてその点は残念に思います。それから、この会は、御承知のように、放送についていろいろなことを知ってらっしゃるベテランの集まりでございますから、例えば、放送が公正、中立に行われなければならないとか、偏った報道をしてはいけないとか、そういうのはみんなが基本的には認識として持っているわけで、そういうことを抜きにしましてお話が始まっているわけでございます。それで、その話の中身が、外部のそういう問題に余り、理解と言うとおかしいんですが、知識のない方には極めて誤解を招くような点がありますが、調査会そのものにおいては、そういうことはないような形で話が進んだものと思います。ただ、私ここで申し上げますのは、私があそこで申し上げましたのは、あくまでも勉強会であって、要するにテレビの力が最近物すごく強くなっているわけで、やはり視聴者の求めるものを正しく我々は報道しなければならないというような姿勢で私はお話をいたしました。それで、そういう意味からいいまして、私どもの主宰します、私が主宰しましたテレビ朝日の選挙放送がそういう意味で成績がよかったものですから、ある点、自負といいますか、おごりといいますか、そういうものが先にありまして、私はああいうような、いわば常識を欠いた、脱線的な暴言をしたことだと思います。その点はまずおわびいたします。それから、その会に出席しました経緯は、たしか第六回目の会だと思います。私どもの編成局長、古川取締役がちょうど当番に当たっておりまして、それでテーマが政治と報道だからちょっとやってくれないかという依頼を受けまして、私はあの会に出席したわけでございます。
  • 椿証人:調査会の議事録が既に公開されておりますので、あのような趣旨の発言をしたものでございます。ただ、はっきりとここで申し上げますのは、先ほども申し上げましたように、まあ仲間内の勉強会でございまして、ああいうような暴言をしたわけでございます。ただ、ここではっきり申し上げますのは、私、選挙中のああいういろいろな政治情勢がございまして、それが選挙後の結果、大体ぴったりと合った、それを見まして、まるで私が頑張ったような、また、テレビが頑張ったような、そんな錯覚に陥りまして、ああいうような発言をしたわけでございます。私どもは、放送が公正、中立てあるということはもちろん頭に入っているわけで、私どもの選挙放送がそういうものを逸脱したことは全くございません。それははっきりとここで申し上げます。
  • 椿証人:テレビ朝日は、公正な報道、政治的に中立な報道を行うということを前提にして免許をいただいているわけでございます。そういう意味で、テレビ朝日がその大原則をたがえて放送するということはございません。それはテレビ朝日の番組制作基準にもきちんと書かれていることでございまして、テレビ朝日の社員は社に入ったときからそういうことを徹底的にたたき込まれております。そういう意味で、今回の衆議院選挙の選挙報道に際しましても、その大原則を曲げて放送をしたことはございません。それから、それを曲げて放送するようにとか、そういうような指示を報道局長から出したことは全くございません。また、番組を制作するシステムからも、そういうことはないのであります。それから、今回の選挙報道に際しまして、もちろん、公平、中立てあることを大原側にきちんと正確に敏速に報道を行おうということは、私は報道局員に対して申し上げました。それ以外のことは何も申し上げておりません。したがって、あの議事録に書かれておりますように、例えば、五五年体制を突き崩すためにテレビ朝日はやったとか、反自民党政権をつくるために選挙報道を行ったとかという、そういうような言い方は、先ほども申し上げましたように、現実が、そういう現実が起こりまして、それを見て、結果的に、まるで自分の手柄であるかのごとく発言をしました、明らかなフライングな発言でございます。テレビ朝日が一部の政党それから一部のグループを当選させるような目的で、今回の選挙に際して報道を行ったことは断じてございません。
  • 椿証人:公選法の規定及び放送法の規定は、先ほどから何度も繰り返して申し上げておりますように、よく熟知しております。そういうものを守らない限り報道の自由ということはあり得ないわけでございまして、そういうことは、私、33年放送人として勤めているわけでございますが、片時も忘れたことはございません。
  • 椿証人:委員長が今御指摘いただきましたように、民間放送連盟の放送調査会という内輪の会合であれ、私の発言は極めて不用意、不適切でありまして、そういう意味合いで本当に恥ずかしく思っております。心からおわびを申し上げたいと思います。何度も申し上げますように、私どもは、今度の選挙報道に際しまして、公正、中立てあることを旨とし、偏向的な報道は全く行ってはおりません。ただ、私の発言が、何といいますか、放送の、放送に関しまして信頼性を損なわれるような事態が起こりましたことは、本当に心から反省をしております。ただ、何度も申し上げますが、テレビ朝日は政治的に公正、中立な放送を行ってまいりました。それは自信を持って申し上げることができます。それから、私発言が、私の先輩たちが営々としてつくり上げました日本のジャーナリズムのよき伝統に悪い影響を及ぼさないことを、心から祈念するものであります。それと同時に、今回の私の発言で、報道の自由に対して不当な介入が行われないことを、心から期待するものであります。
  • 椿証人:私は、当時は日本教育テレビと申しておりましたが、昭和35年に入社いたしました。それで、ごくほんの一部の期間を除きまして、ほとんど報道の現場で仕事をしてまいりました。国会の記者もやりましたし、それから沖縄返還のときにはワシントン特派貝として向こうで仕事もいたしました。帰ってまいりまして、報道、外報のデスク、副部長、その他をやりまして、北京の支局長で3年8カ月向こうにおりまして、帰ってまいりまして、報道局次長それから報道局長でございます。報道局長になりましたのは平成元年の6月でございます。それで、昨年の秋から報道局それから国際局の分担というのを命ぜられまして、報道局長のままでそういう仕事をいたしました。それで、今月の19日にテレビ朝日の取締役を辞任したわけでございます。

以下略。衆議員会議議事録より。