ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

落語

 もうすでに何度も何度も書いたような気がするけれど、私にとっての落語というのは日常娯楽だった。それはラジオ。昔はテレビがなかったので、家での娯楽だといったらラジオだけだった。その代わりラジオからあらゆるエンターテインメントがこぼれだしていた。歌謡曲も、浪曲も、相撲も、野球も、お笑い三人組も、ヤン坊ニン坊トン坊も、そして落語もそこから出てきた。で、最初に聴いたのは三遊亭金馬だったのではないか。あとから読んだ本によるとあの人は当時東宝の所属だったそうで、寄席よりもラジオ、東宝名人会だったそうだ。
 生で落語を聞いた、つまり寄席に行ったのは小学校の3-4年の頃のことだったと思う。親父の甥に当たる青年が大阪からやってきて、うちに逗留し、横浜駅の西口に昨日今日できたような相鉄寄席という寄席に行った。そこで聴いたのが林家三平だった。当時はそろそろ昭和の爆笑王が大爆発する頃だったのではないだろうか。彼がやったのか、他の噺家がかけたのか、良く記憶がないのは小学生だったのだから無理もないが、「唐茄子屋政談」を聴いたらしい。「えぇ〜、とうなすやでござぁ〜い」という声を覚えている。
 中学中頃になって、うちにテープレコーダーがやってきた。姉が英語の勉強に使うと親を説得して買わせたらしい。これは得たり!もっぱら私が金馬の落語をラジオから録音するのに使っていた。こうなると、やっぱり人前でこねくり回してみたくなる。しかし、そんなことはなかなか実現しない。高校に入ってから、毎年秋になると、港区にある某大学の大学祭が開かれて、その大学の落語研究会が3-4日毎日朝から落語をやる。1-2日通ったような気がする。なんといっても只だ。ロハ。無料。電車代だけで、好きなだけ落語を聞いていられる。スポンジが水を吸う様にということをいうけれど、身じろぎもせず、ひとつも笑うということをしないで、じっと聞き入っていた。そりゃ大学生の落語なんだから、引き込まれて聞き入ってんじゃない。噺を覚えたくて聞き逃すまいとして聴いている。いってみれば稽古をつけて貰っているようなものだ。
 高校三年になってから、一年下の男子で小柳君というのが、どう知ったのかわからないが、ある日教室へやってきた。なんだと思ったら、どこで聴いてきたのか、私が落語が好きだと知ってきたという。「落語研究会を作りませんか?」というのだ。もし立ち上げることができたら顧問になってくれそうな先生も、もう当たりをつけてあるというのだ。国語の先生で、そういわれてみれば、あの先生は落語を好きそうな気がする。
 三年生は私ひとりで、あとは一年、二年の男子ばかりか、女子まで入ってくるというのだ。もちろん二の句もなく引き受けた。受験を控える時期に落研を作ってしまったんだから、勉強なんかに身が入るわけがない。ワイワイやって、初めての学校祭。一番終わりに高座にあがるんだけれど、小柳君がもうすっかり私なんかより上手で、なんと「死神」なんぞを得意にしているというとんでもない奴で、トリで上がる私が「寄合酒」なんてのをかけるというていたらく。格好悪いっちゃありゃしない。
 同級生の柳沢君が衣装屋に知り合いがいるっていうんで、紋付き羽織を借りてきてくれたから、それでも紋付きを着た写真が卒業アルバムに載っている。
 そこまで好きなら、普通大学に入ってからも落研で良いんじゃないかという事になるだろうに、高校で後輩から「師匠!」なんて呼ばれた経験を持つ人間が、大学に入ってから一からやらなきゃならないのはちょっと耐えたくなかったものだから、入らなかった。あれからこっち、人前では一回もやったことはない。自分の名前を自動車修理屋さんの息子の寺島君に譲ったところまでは覚えているけれど、そのあとは全く知らない。もちろん今のその高校に落研はもうない。
 あるお方のおかげで、三遊亭圓生の「松葉屋瀬川」と柳家さん喬の「雪の瀬川」を昨日の夜中、今朝にわけて両方とも聴いた。今の世の中は便利でございますなぁ。