ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

昼から

 ひとしきりかつての日本の陸軍のシステムの話をお伺いして、外に出ると、なんだ、やっぱり雨はやんでいなくて、折角たたんでしまった折りたたみをまた取り出すことになった。それにしてもどうしてお婆さんのグループというのは周りの人の流れを読むことができないで、マイペースで固まっているんだろうかと不満に思いながらも、そういえば爺さんグループも人が流れているところで平然とぺこぺこお辞儀を繰り返しているよなぁと気がつく。
 戦争が終わって、連合軍に占領されている間、日本には軍人恩給がなくなっていた。それが1952年に占領が終わるやいなやこれが復活したが、そのシステムは無茶苦茶複雑で、これを試験問題にすると相当数の学生は試験をしくじるだろうという位のものだ。ただ、その計算根拠は最終給与額なんだそうで、大将(東條英機なんかはそうだったわけだけれど)なんぞは二等兵なんかから比べたら50倍くらい違っていたからその額たるや相当なものになるわけだけれど、頭打ちになっていたらしい。それでも昭和50年代に東條英機の遺族年金は年額で400万円ぐらいにはなっていたらしい。私はその頃年収が込み込みで70-80万円くらいだったのではないだろうか。
 午後3時から横浜で中国残留婦人についての一人芝居があると聴いていたので、行こうかどうしようかと思っていたのに、降り続ける雨にすっかり怖じ気づいてしまった。まんま家に帰ろうと思ったのだけれど、なんだかおなかが減って家にたどり着くまでに持たなさそうな気がした。
 そこで、そうだ久しぶりに三州屋に行って海鮮丼を食らいたいなぁと思った。丁度時間も1時を半時間ばかり過ぎている。こんな天気だし、きっと空いているんじゃないかと。一丁目店に向かっていくと、目の前を歩いていた若者がそのまますっと入る。おやおや、大丈夫かなと扉を開けると、なんと先客は爺三人組と、婆二人組だけだ。その若者はなんの躊躇もなく刺身定食を頼んだ。私はもちろん海鮮丼と一言。
 婆二人組は6人座りのテーブルにそれぞれ真ん中にどかっと座って向き合っているがもうすでに食べ終わっていた。どちらかが奢ったらしくて、奢られた方が「そんなことしないでよ!」というが奢った方は「だって私は借金があるもの」というのだけれど、だったら割り勘にしてそのぶん早く借金を返さなくて良いのかと、余計なことを考える。
 そのうちに私の海鮮丼が来た。相変わらず立派だ。まず写真を三枚。で、醤油皿に大量のわさびをうつし、醤油で溶いてそれをぐるりと回し混んだところで、くだんの婆二人組が帰りながら人の丼を覗き込んで「こっちも旨そうねぇ!」というのだ。全く失敬というか、教養がないというか、どうしようもない輩なんだよなぁ。遠慮ってものがないのかねぇ、婆さん!といってやりたいが怖くてできない。
 刺身定食を前にした若者の箸の動きが遅いなぁと視界の片隅で思ったら、案の定、スマフォをひょひょいしながらなのだった。
 こうなると爺三人組の会話に耳が向く。こっちを向いている一人はもはや酩酊しているからなのか、あるいは脳梗塞でもやったのか、呂律が回らない。ガラスのぐい飲みで冷やをあおる。こっちに背中を向けている二人のうちの一人が、その呂律に絡む。「おまえはそうやってやっちゃいないように見せているけれど、勉強してんだろ?」「俺か?俺はしちゃぁいねぇよ」「嘘をつけ、おまえはすぐそういう言い方をしやがる!」「イヤな言い方するじゃねぇか」「それがどうしたよ!」もう酔っ払いの会話だ。おいおい、ここは大統領じゃねぇんだから、こんな時間から絡むんじゃねぇよといいたくなる。
 今日の赤だしは、イヤってほどナメコが入っている。これじゃ多分いつもの二倍くらい入っているんじゃないかと思うほどで、啜っても啜っても、赤だしが減らない。
 今日もまた三州屋の海鮮丼はたまらないほどに旨い。たまには他のものを食ってみたいのだけれど、どうしてもこれが旨くて、他のメニューを頼む気がどうしてもしない。