ほぼ足りてまだ欲 その先

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一銭五厘

 保阪正康レクチャーの日。
 特攻隊で命を失ったものおおよそ3,000人といわれている。そのほとんどは(全部とはいわない)出陣学徒であり、少年兵であった。なんで、職業軍人として長年訓練を重ねてきた職業軍人ではなかったのか。それは国がそれほど金をかけて育成して育て上げた職業軍人では勿体なかったからである。同じ徴兵されたものの中でも出陣学徒は当時としては選び抜かれた高等教育を受けたものであったから(今の誰でものぞめば大学生とは格段の差)簡単な訓練で突っ込むことができると認められていたからである。
 常に徴兵兵士の訓練で良くいわれていたと聞くのは「おまえらの代わりは一銭五厘でいくらでも補充が効く」だった。そしてこの考え方は軍隊特有の考え方ではない。当時の後背の思想がこれを全面的に支持していたからこそ成り立った考え方だった。それ故にこの考え方は加速されてきたといって良い。
 ここまで保阪の話を聴いていて、私は「なんだ、全く今も変わっちゃいないじゃないか」と思った。保阪もそういっていた。霞ヶ関の高級官僚は今でも全くそう思っているだろう。日本軍が友軍の戦死者の遺体を遺棄してきたのは、こういう背景があるからだったのではないのだろうか。(そんなことを考えている余裕なんてねぇんだよ、という声が聞こえる)。