ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

散歩

 一念発起して、昨日は散歩に行った。それは一昨日、つれあいが「身体の機能が衰えてんだから運動しないとダメよ」といったので、夏休みの宿題を放りっぱなしにしている時に「宿題やらなくて良いの?」といわれたみたいで、思わずカッときたからだ。
 で、「いきなり切れる」というのをどこかで聴いたことがあるぞ、そうだ、段々言葉を想い出さなくなってきていることもあるし、これは認知症の症状じゃないのか、いやいや、こりゃ困ったぞ、若年性認知症じゃないか、と思ったが、そうじゃない。もう「若年」ではない。実にもう立派な正々堂々とした「認知症」って事になっちゃうんじゃないのか!何しろ間もなく古稀になる日もそんなに遠くない、アラセブってやつじゃないかと思った途端にシュンとしてしまったのである。
 それで散歩に出た。上野のお山方面に淡々と進む。近頃お山に上がるところにエレベーターができている。昔は取っつきの階段をえっちらおっちら上がったのだけれど、あっちのルートもこっちのルートもエレベーターがついた。運動のために歩いているというのに、ついついこれに乗る。
 今日はことのほか調子が良い。歩くために買った靴もようやく馴染んできて、当初の様に硬い印象がどんどんとれて、フィット感が出てきた。こりゃいけそうな気がした。それなのに、それなのに、妙に近いところからぐるんと回り込もうとする気持ちがコース取りに表れてくる。
 それにしても上野のお山には寛永寺の様々な施設があるだけじゃなくて、芸大だとか、なんとか研究所とか、なんとか法人とか、博物館だとか、めったやたらと如何にも権威のありそうな建物ばっかりだ。国立博物館の裏を歩いてみると、構内にはそれこそ散歩したらとっても気分の良さそうな小径がきちんと整備されているというのに、校内の縁は全部背の高い鉄柵で「関係のない」「怪しい輩」をものの見事に排除してござる。権威の内側の連中の「これで良いのだ感」満載の鉄柵だ。排除される側に回ってみると、いやいや、その防御の固さに、疎外感は膨らむ。人間はまったく同じ中身でも、うちと外では信じられん程の違いだね。
 今日の空は様々な雲が浮いていて楽しい。雲ひとつない空というほどつまらんものはないから。ふと見上げると東の方から旅客機が西に向かって飛んでくる。ズームをめいっぱいに延ばしてみたら、全日空の787だと判明した。時としてこのコースを旅客機が飛ぶ。風向きとかが関係するんだろう。
 さぁ、これくらい歩けば良いだろう!と胸を張りながら帰ってきて、万歩計を見たら、たったの6,900歩で本当にがっかりした。これじゃ、爺もきわまれりだ。