ただ単に身体能力が衰えると聞いたって、一体それがどんなことを意味するのかなんて、若いときには想像すらしなかった。それでいて、「あぁ、なんつうみっともなさなんだよ、シャッシャとやれよ、トロトロしねぇで!」とか思っていた。
医者に行っても「どうです?治りましたか?」なんて聞かれて、まずくなったとしても、それは精進すれば、あるいは薬を飲めば、元に戻るってことを治るっていっていた。
ところが歳をとってくると、それがもはや永久に元に戻らないことを意味したりするんだねぇ。不思議なことに医者に治して貰いに行くんじゃないんだね。「これはもうしょうがないんだ」ってことを説明して貰いにいくんだね。こんなに意味が違っていたんだから、もはや同じ世間に暮らしていると思っちゃいけないんだね。
こういう状態になると、あの、健康で屈託なくて、将来が前途洋々としていて、いつまでもこのまま人生が続くんじゃないかと思っていたことの理由がよくわからない。あっつう間だからね。川崎のドヤで焼け死んじまった高齢者の人たちと、この自分とどこが違うんだろうと思うけれど、もうここまで来るとほとんど変わらない。明日をも知れぬ人生だっていう点では全く一緒。少し、安全に暮らしていられるっていう程度。