ほぼ足りてまだ欲 その先

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顰蹙(ひんしゅく)

 多分これを書くとあまたの顰蹙を買うのは目に見えているけれど、これまでずっと思ってきたことだから書くべきところには書いておかなくてはならないと思う。
 それはもはや天皇制をここまで国家に組み込むのはやめたらどうかということなのだ。日本国憲法では天皇は国民の象徴だということになっていると小学生の時に習った。ま、この象徴という言葉はとっても不思議な言葉で「これです!」と指し示すことができない。私にとっては象徴とは一体何の象徴なのか、という疑問が解けない。
 大日本国憲法には何と書かれていたのかというと、大日本帝国万世一系天皇之ヲ統治スとしているんだけれど、天皇ハ国ノ元首ニシテ統治権ヲ総攬シ此ノ憲法ノ条規ニ依リ之ヲ行フと書いてある。しかし、不思議なのは統治するといっていながら立憲主義の中にいるといっている。わかりませんなぁ。
 で、問題は戦争です。戦争中、日本人は天皇は神様で、国民は臣民なんだと教えられてきました。絶対なんだと。写真すらまともに見ちゃいかんと。お辞儀しろと。兵隊は上官の命令は陛下の、つまり神様の命令だといわれてブルブルッとビビった。特に青少年はすぐさまその気になった。つまり、北朝鮮のニコニコしながら上手に踊ってみせる少女たちのような。尤もあっちが天皇制を真似してんだという説もあるけれど。何しろ皇国といったんです。天皇の国だったんです。あの戦争は聖戦といっておりました。どこが「聖なる戦い」だったのですか?原爆二つ落とされて聖断を下されたわけです。
 戦後、マッカーサーに会った時に昭和天皇は「私はどうなってもかまわないが」といってマッカーサーが感動したといったというけれど、それは裏付けられていない。
 本当は天皇制をこの際単なる民間人に元に戻すべきだった。なにしろ、長州が官軍として持ち出した錦の御旗は全くの偽物だったといっても良いらしいじゃないか。そんなところから始まったいい加減な制度を、それこそ安倍晋三の談話ではないが「過去をしっかり検証」しなくちゃいかん。
 今上天皇は何かにつけて平和について発言していて、安倍晋三の無茶苦茶の歯止めになりそうだけれど、その度に「天皇陛下がこう言っているのに」と持ち出されることに私は危惧を持っている。なぜならそれは未だに天皇そのものを神格化せんとする動きにつながりかねないからである。