ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

バイパス

 私がその幼稚園に通い出した頃、商店街の向こうにあった街道を拡張して西へ通じるバイパスを作る工事が始まった。もう今ではとてもバイパスとは思えないが、当時はこの工事はかなりの時間がかかっていた。なにしろ小学校の帰りに工事現場を見ていた記憶があるからそう簡単じゃなかった。
 このバイパスは交差していた私鉄の高架線をくぐっていてこの効果の橋桁を拡張する必要があった。だから余計に時間がかかったのかも知れない。今ではこの高架をガタンガタンと音を立てて通っていた私鉄電車も地下に潜ってしまったので、用いらずとなってしまったので、取り払われたようだ。
 このバイパスの工事は道路となるべきところを掘り下げて基礎を作っていたから、辺り一面に柵ができて、土工事をやっていたような記憶がある。ランドセルの外側横になぜか知らないがループが作ってあるが、そこにおふくろが作った簡単な布袋に給食の食器と箸箱を入れ、ガシャンガシャンと音をさせながら走って通り抜けていた。
 この道が開通すると、どんどん交通量は増えていき、それまで牛が引いた荷馬車なんてのが普通に通行していたというのに、それから先は工事用のダンプがガタンガタンと振動をさせて走り抜けるようになった。だから、バイパスに面したお店は徐々に店を閉めるようになっていった。代わりに細い細い旧道に面していた商店街はほとんど車が通らなくなったから買い物客が気楽に歩けるような商店街だった。尤もそういうところを通る車の絶対量が少なかった、ということがあるのだろう。魚屋、八百屋の店頭は午後になると段々活況を呈して、売り手の威勢の良い声が飛び交った。魚屋がイワシの数を数える声が忘れられない。「ひとい、ひとい、ふたい、ふたい・・・」と魚を移しながら数える。なんで普通に冷静に「ひと〜つ、ふたぁ〜つ・・」と数えなかったのだろう。間延びして活きが悪そうに聞こえるからだろうか。分厚い木の一枚板でできたまな板を大きな水を満たした木樽の上に載せて、次から次に魚のわたを取っていくのは見ていて面白かった。
 八百屋の店頭では木樽の中に里芋を入れ、水を入れ、棒を交差させて固定したものを突っ込んでガッチャン、ガッチャンと右左に回転させると里芋の皮がとれて、ツルツルになる。客は家で皮を剥く手間が省けるという寸法だ。
 横にあった乾物屋はなんだかいつものんびりしたおじさんがまるで片手間にでもやっているようなのんびり感があった。ウグイス豆でも、佃煮でも、経木をくるりと回した中に入れて、新聞紙に包み、百匁いくらといって売っていた。おふくろは籐で編んだような買い物籠にそれを入れて腕に抱えていた。勿論割烹着のままだ。
 今でもバイパスは(上に書いたように今じゃそんな感じもしないけれど)そのままだけれど、裏道の商店街はすっかり寂れてしまい、何人もの店員を雇っていたクリーニング店もやっていないし、魚屋も八百屋もなくなってしまった。そういえば角にあった消防署が移転してからもうずいぶんになるけれど、あの消防署はどこへ移転したんだっけ?