ほぼ足りてまだ欲 その先

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忙しい

 世田谷区の保坂展人区長が、独居老人と貧乏学生の同居はどうかと提案したら、今の学生は生活費を稼ぐのに忙しくて、そんな老人の面倒を見ているような余裕はないと批判をあびているっていうんだね。世田谷区では「空き家研究会」というものがおこなわれているんだそうで、そこでオランダのある施設でのケースが話題になったと。
 それは「簡単な一つの条件を満たせば、大学生たちに無料でそこに住むことを許可している。その条件は、毎月30時間、高齢の入居者と共に時間を過ごすことだ。現在、施設には6人の学生と、160人の高齢者が生活している」というものだ。
 食事の準備の手伝いや、コンピューターの使い方の手ほどきなど、学生ボランティアの仕事が数多くあるといいますが、高齢者と学生が雑談の花を咲かせたり、誕生パーティーに出席したりという交流のひとときも大切な時間です。高齢者同士や施設職員との関係の外側にいる学生たちが、年齢を超えて親しくなることで双方がメリットを感じるのではないかという記事だ。つまり、「異世代ホームシェア」という考え方。
 ところがこれに対する批判が「今の学生は生活費に追われているのが現状で、こんな状態で高齢者の面倒を見ろっていうのか!」というものなのだ。「視点が年寄りに偏っている。もしその老人が乱暴者だったらどうするんだ」ともいっている。
 多分この批判の延長線上に、多文化との共生もありそうな気がする。机上でこねくり回すからでもあるだろう。目の前に年寄りもいないし、目の前に他民族もいないのだろう。
家の近所に保育園ができることに反対する考えも、これに似ている。
 この批判に欠けている視点は、ではこのように切迫した状況に置かれている学生は、なぜそんな状況にいるのかという点でもある。学生が生活費に追われている理由は一体何だろうか。
 視点が短絡的、学生に高齢者の始末を押しつけるなという声にはその声を発する側にも、それを聞く側にも絶望感が漂う。では、なにがポイントなのか。