ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

懐古

 私が実家でまだ小学校低学年だった頃の正月、つまり60年前ですが、あの頃の正月は地元の松本商店街も「大木屋」というオモチャ屋以外は全部お休みで、ひっそりとしていました。オモチャ屋にとってはガキどもが現金を持っている正月は稼ぎ時で、私のようなぶきっちょなガキはお年玉の中から穴の開いた硬貨をとりだして小さな六角凧をここで買ってきます。なにしろ近所の連中は中学生のお兄さんをコーチにして、大きな凧を既に作ってあります。広場に行くと、早くもそんな凧を持っている連中が、たこ糸を伸ばし、しかも、唸りをつけていて、糸を引く度に「ブゥ〜ン、ブゥ〜ン」と凧が唸るのが聞こえてきます。糸に四角い紙を絡ませるとそれがどんどん凧に向かってあがっていきます。これを確か「伝令」と呼んでいたような記憶があります。
 女の子たちはまるで絵に描いたように、羽根つきをしていました。カン、カンという羽根をつく板の音が聞こえ、それが途切れると、「アハハ!」と笑いが響いて誰かがそれを落としたのがわかります。漫画の中だけではなくて、本当に墨で顔に丸やらバツやらを描いた記憶があります。
 わが家では元旦には家族全員、といってもたった5人、が茶の間ではなくて、座敷の大きなテーブルに座り、床の間においてあったお屠蘇の朱塗りの道具を母親が捧げ持ってきて、子どもたちにもお屠蘇を注いで飲みました。なんだか厳粛なものになっていたのを覚えています。二日目は必ず、父親の職場の人たちが集まってきて、オヤジ連中の大宴会になり、台所はそのかみさん連中でごった返していて、子どもたちはワックスを塗った廊下をツルツル走っていました。今から考えたら、とてもあの場に身を置く気にはならないくらいな大騒ぎでした。
 初詣に近所の神社へ行くと、当時でも必ず白衣に戦闘帽を被ってアコーディオンとかハモニカで軍歌を演奏していた傷病兵、もしくはそれを装った物乞いがいました。
 静かな正月をトロトロ寝ているような、あるいは起きているような寝ぼけた状況で時間の経過を見ている今とは大違いでした。