ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

書籍浪費家

 午前中の予定をキャンセルして寝ていたら午前11時半に眼が覚めた。このままだらだらしていると簡単に一日を棒に振るのが目に見えていたので、散歩に出た。先日入手したKindleのケースを探したいなと思ったんだけれど、銀座線に乗っちゃったので、ふと、神田の駅で降り、一番秋葉原寄りの階段を上がる。この改札を須田町口という。昔はこの改札を出ると、ず〜っと真っ直ぐな地下道で、左側にずらっとお店が並んでいた。浅草の駅を松屋側に出た左側に不気味な地下道があって今でも店が並んでいるように、ここにもそんな店があった。その頃は銀座の銀座線を出て三原橋の下をずっと東銀座まで行く地下道の右側に袋小路みたいになった数軒のお店もあった。
 テーラーがあって、帽子屋があって、床屋があって・・・歯医者もあったような気がするがなぁ、と思いつつ検索をしたらこちらのページを発見。靴屋もあったんだそうだ。1931年11月開店の「須田町ストア」も2011年1月に最後の4店が撤収してその幕を閉じたそうだ。50店舗もあっただなんて、それはさすがに見たことがない。私が初めてここを歩いたのは一体いつ頃だったのだろうか。学生時代に来たのかもしれない。
 この通路を取っつきまで行って階段を上がると途中の踊り場の左手にガラス扉があって、そこがダンスホールだった。私が社交ダンスを習うわけがないので入ったことはないけれど、「須田町ダンスホール」だったか「ダンス教室」だったか、ガラス扉にペンキで描いてあった。これははっきりと記憶にあるのだけれど、その証拠に千代田区観光協会がそう書いている。今度勲章を貰った映画監督の周防が撮ったヒット映画「シャル・ウィー・ダンス」を彼が発想した頃はここの他にも私が知っているだけで、鶯谷駅の北口に、駒込の駅の傍にもそうしたダンスホールがあった。
 今日はまるで夏の陽差しなんだけれど、一昨日にテレビでやっていた嵯峨谷という立ち食い蕎麦屋で昼を食べて金ペン堂に入ってみようと思っていた。だから、淡路町から神田小川町、そして神保町へと歩き始めた。すると優美堂はともかく、昔の平和堂靴店のビルの一階がコナミじゃなくなっていた。スノースポーツやさんになっていた。そんな店が固まっているあたりだからね。

 ついつい書籍浪費家の血がふつふつとたぎりだしてしまい、取りあえず文庫本一冊だけと澤口書店で「占領下の日本財政覚え書―シリーズ戦後史の証言・占領と講和〈5〉 (中公文庫)」を800円で入手。このシリーズはどこへ行っても高くて、その前の店で見た「回顧録 侍従長の昭和史」なんぞは2,500円の値がついていて思わず手を引っ込めた。
 案の定書店を冷やかしているとトイレに行きたくなるので三省堂に上がって、古書館に行く。
報道されない重大事 (ちくま文庫)

報道されない重大事 (ちくま文庫)

500円
 底本は雑誌「ダカーポ」に掲載された「メディア時評」。2003年に魚住昭との座談が巻末に入っている。

麗しの皇妃エリザベト―オーストリア帝国の黄昏 (中公文庫)

麗しの皇妃エリザベト―オーストリア帝国の黄昏 (中公文庫)

350円
 これはひょっとするとうちの書棚のどこかにあるかもしれない。ウィーンに二年連続で行った頃に、結構ハプスブルグ系に手を出した覚えがあるから。
 もう一冊入手したんだけれど、やっぱり家に帰ったら既に入手済みのものでこれは恥ずかしいから書かない。読んだ覚えがなかった。よく考えればないわけないのである。
彦六覚え帖―稲荷町の師匠没後三〇年

彦六覚え帖―稲荷町の師匠没後三〇年

 三省堂の二階には自由価格本のコーナーがある。そこをウロウロしていたら林家正雀さんが師匠、林家彦六(先代の正蔵)のことを書いた「彦六覚え帖」があった。いくらで売っていたかは正雀さんが寝込むといけないので書かない。2012年の本で発行元はうなぎ書房。この時点で彦六死後30年だってぇます。ですから、これは来年には35年になるってぇわけでございますなぁ。彦六さんの戒名がよろしうございます。楽説院正観日義居士ってぇんです。正とか義が入っているところが彦六さんらしうございます。
 正雀さんは彦六さんが亡くなってから芝居噺をかけるようになったんだそうで、私はてっきり正雀さんは端(はな)っから芝居噺が好きで噺家になり、だからこそ先代の正蔵の弟子となったんだとばかり思っていたのでございます。笑点のプロデューサーから「芝居噺は正雀に継がせる」と彦六さんが仰っていたと聞かされたってんです。
 正雀さんは今や当代きっての芝居噺のやり手となっておいででございますな。
 黒門町文楽があの「鰻の幇間」は志ん生には勝てない、あの幇間がやれないといっていて、今はなき(そんなことをいったらあっちもこっちも今はなき、だけれど)人形町の鈴本で自分がトリをとっていたときに休演をして、志ん生に「鰻の幇間」をやってくれと代演を頼み、自分は大きなマスクをして一番後ろで聞いていた、という逸話を書いている。志ん生の「鰻の幇間」とはとびっくり。
 スズラン通りの某書店の店頭に芸術新潮のバックナンバーがあって2005年の3月号が特集がラ・トゥールだった。2005年1月号の特集がフィレンツェだった。この二冊を持って奥へ行ったら若い兄ちゃんとお姉さんがいて「この二冊で千円ですが、三冊でも千円になりますが良いですか?」という。それじゃこれもといって2000年5月号のフェルメール特集ももらった。こりゃ楽しみだけれど、こりゃ重たい重たい。
 最後に金ペン堂に顔を突っ込んだ。若旦那と若い女性がおられて、ポメラニアンのような犬がいてびっくりした。やっぱり私には高い買い物になってしまうんだなぁと思ってガラスに顔をくっつけるようにして一本、一本を見てきた。スケルトンが流行る。
 うちの近所に帰ってきてどうせ重たいんだからと炭酸水の2リットルビンを二本買って帰ってきた。あぁ、重かった。
8,974歩