ほぼ足りてまだ欲 その先

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人生

 かつては人生わずか50年だったわけですよね。それもまだ100年もたっていない過去のことです。それが今や60代で死んじゃったら「アッらぁ〜、お若いのに気の毒ねぇ!」といわれるくらいですから、みんな長生きです。その分過去には遭遇しなかったことに次から次に遭遇します。
 認知症なんてその際たるものですよねぇ。昔は「ねぇ、あそこのお爺さん、大分惚けてきちゃっているみたいよねぇ」という程度だったような気がします。
 それが今や「徘徊しちゃってねぇ」なんという言葉はごく自然に出てきて、それを聞いた人がその体験談を次々に披露に及ぶなんて状況です。
 だから、かつてはお嫁さんがお舅さんやら姑さんの面倒を見たというのはさほどのことでもなかったというか、周りにその手のお手伝いをしてくれる人がかなりいた。病院に連れて行くときに留守を見てくれる隣近所の人だって、普通にいたしね。
 でも今はそんなことがない。周りだってそんなことわからない。踏み込んでお節介したらうるさい爺だと思われてしまう。いざというときのためにどこのうちにどんな状況の人がいるのか知っておこうとするとプライバシーの侵害だといわれてしまう。
 となると、横のつながりよりも、地域の包括支援センターやら、そうしたケアマネージメントをしてくれる人との縦のつながりの方がより濃くなる。
 だから、結果として介護も本当は縦のつながりで解決できる方がよっぽど現実的な社会構造になっている。そのために2000年から始まった福祉構造改革が役に立つ「はず」だった。「はず」だったというのは、そのためにいろいろ考えてきたシステムを今の自民公明連立政権がすべてを壊そうとしてきているからだ。
 どんどん社会保障に絡む予算を削減して、そのシステムがなり立たなくしていっている。極端な例は要介護1-2をなんと介護保険からはずそうとしている。冗談じゃない。これじゃ、詐欺に遭っているようなものではないか。
 近親による介護が得てして感情に溺れてしまうケースが多々出てきているのはそれだけ、困難な介護状況が増えているということではないかという気がする。
 そんな時に、いわゆる縦のつながりによる、第三者による介護がとても有効になるのはよくわかる。しかし、それを潰そうとしているのが今の政権なのだ。