ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

 TBSのアナウンサーだった林義雄について書かれたもの。1943年生まれの林義雄はちょっと変わった経歴で、都立三商を出て三菱地所に就職してから早稲田大に入ったという、当時としては結構珍しい経路を辿っている。
 私は彼のことはラジオ局のアナウンサーとして勿論知ってはいたけれど、彼の番組のヘビー・リスナーではなかった。例えばパックインミュージックの第一部はしばしば聴いたけれどその先は、真面目な青年たる私は聴いちゃいない。しかし、林義雄はかなり知っていたのはどうしてだったのかよくわからない。
 ところが後年、一体誰が連れてきたのか知らないけれど、70年代の後半から90年代の初めまで、私が良く通った日比谷の呑み屋で林義雄と時々顔を合わせるようになった。彼はあの艶のある良い声で、語り、笑い、酔っ払った。たまたま苗字が同じだったせいだろうけれど、私が顔を出すと、良く声をかけてくれた。
 彼がいうにはかつてTBSの若手三羽がらすといわれた久米宏が会社を辞めて独立したときに小島一慶は相当に焦ったんだと。
 彼が死んだと聴いたとき、あれだけ呑んでいたんだから、肝不全もしょうがないんだろうなとは思っていたけれど、あんな人気者が、良く私のようなその辺のサラリーマンと親しく話をしてくれたものだと、今になってみると不思議でしょうがない。もし彼の生前に戻れるんだったら「なんでだったんですか?」と尋ねたい。
零下51度からの生還 エヴェレストの悲劇――死の淵から蘇った男 (光文社文庫)

零下51度からの生還 エヴェレストの悲劇――死の淵から蘇った男 (光文社文庫)

 あの1996年のエベレストの大惨事から奇跡的に生還したダラスの医師、Beck Weathersが書いた顛末記。ジョン・クラカウワーの追っかけたる私、ハッと気がつくとこんなところにまでやってきていることに、自分が驚いたりしている。家族の悩みを抱えてエベレストまできてしまったBeck Weathersは生還してからなにを書いているのだろうか。
 彼はこの本の扉に一緒にエベレストに挑戦した人たちへの言葉を述べているのだけれど、その中にジョン・クラカウワーが入っていない。
米軍基地と神奈川 (有隣新書69)

米軍基地と神奈川 (有隣新書69)

 有隣堂は元はといえば横浜の伊勢佐木町の書店だった。60年代くらいから横浜の街の広がり、あるいは繁華街の移動なんかもあって多店舗展開を始めたのではなかっただろうか。横浜駅の西口に地下街ができたときに大きな店舗を出して、良く足を運んだ。
 その有隣堂がこんな新書を出している。多分初版は5-6年前か。執筆者は全員私より若い人たちだ。一度有隣堂に足を運んでこの新書の全体像を見てみたい。