ほぼ足りてまだ欲 その先

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花見の仇討ち

 落語、花見の仇討ちで、仇討ち側が相手に出逢ったときに言う台詞。

「汝はなんの某よな、何年以前国許においてわが父を討って立ち退きし大悪人、ここで逢うたは盲亀の浮木、憂曇華の、花待ち得たる今日の対面、いざ立ちあがって、親の仇敵だ尋常に、勝負、勝負」

 この「盲亀の浮木(もうきのうぼく)、憂曇華(うどんげ)の、花待ち得たる今日の対面」っていったいなんですか。こういう時にこのインターネットの検索エンジンってのは絶大なる威力を発揮致します。「故事諺辞典」というサイトにこう書いてあります。

大海の底にすみ、百年に一度だけ海面に出てくる盲目の亀が、海面に浮かぶ一本の木に出会い、その木にあいている穴に入ることは容易ではないという、仏教の説話から。
もとは、仏または仏教の教えにめぐり合うことは、非常に難しいことをいったもの。
「盲亀浮木に値あう」の略。
盲亀の浮木優曇華の花」と続けてもいう。
優曇華の花」は、三千年に一度咲くという想像上の吉兆の花。

 素晴らしいというか、どうしてそんなことを思いつくのかというくらいの例えなんですが、このうしろの「憂曇華の、花待ち得たる」なんですが、なんで「憂曇華の花、待ち得たる」じゃないのかってことなんです。「盲亀の浮木」はもうそれだけで、お〜!すげぇ偶然!ッてんで驚きます。で、三千年に一度しか咲かない花を待ってようやく叶ったってんですから、なにも「憂曇華の花、待ち得たる」で良いじゃないかと思うんです。
 いや、先日の権太楼さんが花見の仇討ちをやったときに、ここで権太楼さんもはっきりと切ったんですよ。これ、私にとっては随分引っかかったんですよねぇ。権太楼さんの師匠である先代小さんもちゃんとここで切る。