ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

やるからには

 10数年前に豪州、ビクトリア州、Ballaratにある高齢者施設を見学に行ったことがある。いわゆる老人ホームなんだけれど、身体障害者の人たちのための補助具の開発生産もやっているだけじゃなくて、給食センターも兼ねている。メルボルンから110kmくらい西へ行った街で、かつてはゴールド・ラッシュで賑わった街だ。
 高速道路でメルボルンと繋がっているから、メルボルン地域まで給食配達をしているといっていた。
 その施設には日本から多くの高齢者施設に従事している人たちが見学や研修に行っていた。彼らは素晴らしい施設、考え方に心酔して帰ってくるのだけれど、現実的に日本の施設の現状を目の前にしてがっくりきてしまっていた。
 驚いたのは介護担当者のための休憩室というものが作られていて、その部屋は薄暗く、今ではよくあるアロマオイルが匂い、ライティングが施された部屋で、「これじゃ寝ちゃうでしょ?」と聞くと、寝ても良いようにしているというのだった。日本では介護者がそんな休憩を取るなんて考えもしない。追われて追われて作業の連続の中にいる。個別にひとりの入所者に関わっている時間はほとんどとれなかった。
 テレビの部屋に寝ているんだか、起きているんだかわからない状態で、座っていて、その間に介護者が部屋を整備に走り回っている。
 バララットの施設では広い中庭に大昔の、要するに入所者が若かった頃の街の一角と覚しきデコレーションがしてあって、当時のバス停が作られていて、そこに古いボンネット型のバスが停めてあった。勿論動かないバスなんだけれど、入所者にとって昔懐かしい風景だ。
 しかし、日本ではそんなことをする予算もスペースもない。そんなことをいっている暇はない。そんなことを発想する余裕もない。それが良いだろうなぁと云うことは想像がついても、どうせ取り上げられるわけもない。
 アフリカの現場に仕事で行く準備をしている時に、今は既に亡くなってしまった先輩が突然私たちに主張したのは、「我慢して生活を送る現場を前提に考えるのはやめろ!必要なものを必要な時期に持ち込めるように準備するんだ」と。私たちは、仕事で行くンだから我慢するのは当たり前だと思っていた。
 そういわれてみると、米国のエンジニアリング企業はとことん母国と同じ条件の生活が送れるのが当たり前だということを前提に設定してきた。だから、爪に火を灯して仕事をする韓国、日本の企業に負けた。しかし、結果としてどっちが幸せかといったらそれは明白だ。
 私たちはそういう文化に染まっている。