ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

一生懸命

 「一生懸命」の「懸」という字が書けなかったのには、ちょっと自分にがっかりした。なにも薔薇って書けといっているわけではないのに、これくらいは書けて良いのに、今やキーボードに頼りっきりだからなぁ。
 一生懸命といったら、私たち戦時中の臣民、つまり天皇の赤子たちは、まさに一生懸命時代を生きてきたのだ。あ、いや、私は戦後の生まれだから、そんな時期はなかったのだけれど、その頃の子どもはみんなそういって、必死に生きてきた。必ずや、大きくなったら立派な兵隊さんになって、天皇陛下のために死ぬんだとまなじり結して滅私奉公をするんだと、本当に、心の底からそう思ってきた。
 だから、8月15日を以て価値観が大きく変わり、そこからなんでも民主主義!となったにもかかわらず、大きくなったらなにになるか、と質問されて「陸軍大臣!」と答えた少年は先生から殴られて驚いた。ファシズムに根底からどっぷりだった少年は切り替えられなかった。そして殴ったその先生もまた、死ぬまで価値観の急激な変化に恐れおののいて生きた。
 誰も彼も一生懸命に、真面目に、生きた。そしてその結果、間違いだったといわれた。そして今君は民主主義に生きているといわれても、どれが民主主義なのか、さっぱりわからない。何しろ利己主義だといわれ、欲しがりません勝つまでは、贅沢は敵だといわれてきた。その滅私奉公が立派な世の中への貢献だという価値観がいつまでもいつまでも、私たちの心の中の判断基準として残されている。
 成田空港建設のための三里塚闘争、道路整備のための立ち退き訴訟、砂川裁判、といった公共の便利さのために協力するのが当たり前で、自分の主張を通すのは自分勝手だという風潮はまさにその現れそのものだった。バブル期の不動産の買い上げだって、暴力手段を使って平然とやってきた。今の中国をどうして笑えようか。
 沖縄東村高江の抗議行動に対するマスコミの扱い、TPP抗議へのマスコミの扱いを見たらすぐわかる。私たちは今でも旧軍ファシズムの渦中にいる。まさかそんなことがこの世にあるわけがない、戦争が終わって体制が変わってもう70年は経っているというけれど、実は全然変わっていない。
 TBSテレビの土曜日の「報道特集」だけが右翼政権によるマスコミの偏向体制に杭を刺している。日本テレビの日曜深夜の「NNNドキュメント」も時たま本気の番組が現れるけれど、深夜の枠でしかない。
 いい歳をした大人が、まだ大きく右に舵を切っているマスコミをそのまま信じている。洗脳という状況はいつの時代にも世の中を牛耳る。そして一生懸命それに殉じる人たちによって支えられている。