ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

散歩

 FBで籏の台の沖田精米が単なる米屋じゃなくて、様々な総菜を売っていて面白いよ、というのを聴いたので、じゃ、散歩ついでに足を伸ばし、大崎広小路で安うまだという鰻を食してみたいなぁと思い立つ。つれあいに声をかけるが、昨日から喉が痛いから遠出はイヤだというので、一人旅。
 山手線で大崎で降りる。ご承知のように大崎はもっとも降りるチャンスがないながらもっとも街が大きく変わったことで知られている。知り合いの一人がここに住んでいるから来たことはあるのだけれど、実際こんなに変わっていたんじゃどこへ行って良いかわからない。と思いながら見回すと東急線の高架が無い。ないわけで、大崎広小路を通っている池上線は五反田から出ている。そうだった!大崎広小路は五反田なのだ。
 慌ててもうひと駅山手線に乗る。五反田は一番品川よりに池上線の高架が出発している。この私鉄の沿線に、高校時代、学生時代の友人が住んでいたから、この乗り換えは何度も何度も乗ったことがある。長原に高校時代の友人が、洗足池に学生時代の友人がいた。
 五反田から大崎広小路はたった一駅、それもあっという間の距離だから高架横を歩く。普通の民家にそのままお稲荷さんがあった。広小路の駅は大通りに面している。ここまで来ると立ち食い蕎麦の「天かめ」とか「ゆで太郎」があって、「今日こそ鰻を食べるぞ!」という決心が揺らぎそうになる。「ゆで太郎」のうどんが今日みたいな寒い日にはぴったりなのだ。
 地図にあった角を曲がると、な、なんとこの通りは前に大崎に住む知り合いと一緒に食べに来た鮨家の前だった。コンビニの角を曲がると定食屋さんがあって、その向こうに暖簾も出ていないが、大きな「営業中」の札が出ているのがその「よね山」だった。到着したのは午後1時半頃だった。先客は一人カウンターにいただけ。私は手前の角にどうぞといわれて座った。そのすぐあとにどうも常連らしい若者が来たら、奥に案内していたから、馴染みは奥、飛び込みは手前ってことになっているらしい。私は勿論一番お安い「うなぎ丼」1,800円。すぐに出てきちゃったから焼いてあったようで、その若者が頼んだ「鰻重(梅)」2,300円は出てくるのに時間がかかったから、多分注文してから焼いたんだろう。彼は肝焼きも頼んでいた。それはランチメニューには出ていない。うなぎ丼はふわふわで美味しいが、ちょっとずつ味が滲みていない部分があったり、という感じだった。でも、なんたって年に一度か二度しか食べられない鰻なんで、もうたっぷりと口に頬張って堪能した。あとで歩いているときに歯の間から、ほろりと転がり出たりして、あぁ、実におウナは美味しい。
 力をいただいて、大崎広小路の駅の階段を駆け上がり、折良く到着した電車の飛び乗る。籏の台で電車を降りる。そうだ、ここには文教大がある。元はといったら立正裁縫女学校、私が子どもの頃は立正女子高。それが立正女子大となり、越谷キャンパスに移った。
 大井町線のガードをくぐるとそこが真っ白に塗ってあって、可愛い絵が描いてある。籏の台小学校の生徒の絵を元にしてあると描いてあるけれど、とっても綺麗で初々しい。
 お目当ての沖田精米は残念ながら日・月がお休みで、シャッターが降りた状態だったけれど、ここの商店街もかなり活況を呈している。大田区、品川区は商店街が結構賑やかだ。それだけ住んでいる人がたくさんいるということだ。
 次の荏原町の駅から大井町線に飛び乗って、終点の大井町まで行く。駅前がとっても綺麗になっている、というか、私の記憶は高校時代のまま止まっているんだから、それはしょうがない。高校時代はここから重たい鞄を手にしてざっざっと音がするほど勢いよく仙台坂を下り、町田学園の前を通り国道を横切って京急の踏切を越えて学校へ行った。時には京急で通ったりもした。
 町田学園が「エトワール」なんていう名前の学校になっていたのは随分前に気がついていた。新しい校舎を建設中だというから、上手くいっているってことだろう。
 今回初めて気がついたのだけれど、正面の右側に「町田学園女子高等學校」という表札がかかっている。細くて横書きだがものすごく雰囲気のある達筆な表札だ。よく見ると一番右に「一九七六年十月十五日 溥傑」と書いてある。えっ!あの愛新覚羅溥儀の弟の溥傑のことか!?どういう関係なんだ!と驚いた。うちに帰ってネットで調べると、町田学園の創始者の妻の姪が溥傑の嫁という関係だという。それでわかったのだけれど、溥傑は戦後日本に7回来ているのだそうだ。この学校はそもそも1934年に町田報徳学舎という男子商業学校として設立され、戦後女子高になったという珍しい学校だ。歌手の瀬川瑛子の出身校だって。私が高校生時代に、同じ駅だったから良くすれ違うんだけれど、男っぽい女子高生がいたりして、何となく怖そうだった。あ、こっちが弱々しかったというべきだろうなぁ。

 青物横丁から京急に乗って帰ってきた。そういえば昔は青物横丁と北品川の間に、南馬場、北馬場という駅があったのだけれど、もうずっと前に二つが無くなって「新馬場」という駅ができている。今の人たちはなにが「新」なんだろうと思っていることだろう。それにしてもなんでこんなところの駅名に「馬場」それも読みは「ばばではなくて「ばんば」となっているんだろうかと、今さらながらに疑問だ。
 約9,700歩。歩きすぎである。