ほぼ足りてまだ欲 その先

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宗教観

 宗教観というのは非常に不思議なもので、日本に生まれたら、周りが日常的にそうだから、仏様を見たら手を合わせ、鳥居を見たらくぐって、本殿前でごく普通に小銭を取り出して、賽銭箱に放り込み、二例二拍手一例して何食わぬ顔をしてでてくる。なんの動機も裏付けもないけれど、周りが多分そうしていたからそうしてきた。ごく普通だった。
 長ずるに及んで、そこに誰が祀られていて、なんのいわれがあってそうしてきたのか、ということにふと気がついたりして、おぉ〜!そうだったのかと気がつく。何しろなんでも良いから、御利益があるというので詣でるという習慣だった。お正月なんかに至っては友達と会うから、そうだ、初詣に行こうじゃないかと云って、デイト代わりだったり、盛り場の傍だからというので神社にワンワンと出かけたりした。入試前にはそれまで行ったことがなかったけれど、あそこは天神さんだってさぁ、といってお参りしては、絵馬をぶら下げた。お酉様だから、列に並んで小さな熊手を買った。あとから気がついたらあれは商売繁盛の御利益があるんだってんだね。
 ま、そうしてどんな神様だろうと、仏様だろうと、アミニズムだから、誰にでもすがっちゃうわけだから、あれは一種のエンターテインメントだったし、遊びのスポットでもあったんだろうねぇ。
 そういう文化だから、日本ではゴスペル・コーラスなんてのもごく普通の遊びで、信仰なんてまったく関係が無い。ここらあたりがまったく日本らしくて、誰もなにも疑問に持たない。一神教の神を崇め、感謝し、讃える歌ばっかりをまったくそんな宗教になんの関心も無い人たちが、うち揃って唄っているってんだから、これは日本以外では考えられないのではないのだろうか。とても不思議な現象で、随分前から不思議でしょうがなくて、一方、一つの宗教を冒涜する行為じゃないのかという気がしてしょうがない。
 「いちいち、うるせぇことをいうなよぉ・・・」という声が聞こえてきそうだ。