ほぼ足りてまだ欲 その先

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「報道の魂」

 TBS系列のドキュメント番組なんだけれど、毎月の第一、第三日曜日の深夜放送。昨日というか、今朝未明の放送というか、放送されたのはスペシャルとめいうって戦後71年の今年に放送された太平洋戦争に関するものを集めたもの。「最後の近衛兵がみつめた終戦」「焼き物の街は軍事工場だった」「人間爆弾・桜花 元搭乗員の証言」「終わらなかった戦争・終戦3日後の占守島」「卑怯者と呼ばれた70年」「新たな開戦の日を避けるために」 といったもの。
 戦争末期には手榴弾、地雷に各地の窯元が動員され、なんと信楽、有田、伊万里、その他でも極秘裏に制作されていたのだそうだ。それが川越等にあった火薬充填工場に運ばれ、それぞれ武器になったそうだけれど、手榴弾は効果的ではなかったが、地雷はそこそこ役立った、つまり米軍兵士を傷つけることがで来たということか。
 従って、1945年に入ってから、こうした窯元にも米軍機が飛んできて、それぞれの工場に対して空から機銃掃射をしてきたのだそうだ。
 その頃の窯元では軍から不要不急の食器類を制作するのはまかり成らんとされて、すっかり火が消えかかったところだったので、佐賀窯業試験所は率先してこの類いの生産に力を入れざるを得なかったのだと説明する。まさに米軍機から撮影した各地の窯元への機銃攻撃の様を撮った動画があったという。
 当然この頃の話になると特攻隊の話になるわけで、自身は機体の不調で引き返した結果特攻に出撃しなかったという人がインタビューにようやく応えてくれた。こんな事が二度とあってはならないと話ながらも、インタビュアーが「彼らの死は無駄ではなかったのですか」と訊ねるやいなや、激高して口からまさに泡を飛ばしながら「そんなことはない!彼らの死があって、初めて今の日本があるんだ!」と叫ばんばかりに反論した。
 彼はあの戦争を否定しながらもそう表現した。しかし、あの戦争を肯定する人たちもまったく同じ言葉を発する。しかし、果たして彼らが死んだから、この今の日本がこうなっているのかといったら、その因果については語るべき論拠がなにもない。敗戦を遅らせることができたのかといったら、それを証するものはなにもない。あれだけたくさんの若い人たちがあのような死に方をしないでそのまま戦後も生きていたら、戦後の日本はもっと変わったかもしれないという可能性の方がなんぼか語ることができるのではないかという気がするが、それすらも論拠はない。
 人間爆弾の桜花にしてもそうだ。ほとんど一式陸攻から切り離されて実際にロケットを噴射して自爆をして戦果を上げた例が一体どれほどあったというのか。ほとんど重鈍になってしまってグラマンの餌食となって撃墜されてしまった例ばかりではなかったか。
 確かにもうなす術もなくなっていた戦況の中での作戦の数々はまさに亡国の行動でしかなかったといわざるを得ない。