ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

電車観察記

 二週間ぶりですかねぇ、電車に乗りました。
 入り口付近に冬休み中の少年ふたりが経っています。少年なのに、手にはチャックの付いた財布と、スマフォを抱えています。なぜか片手にこれを載せている訳ね。落としそうに見えて、危ないなぁ、と思っていた。彼の身体のどこかからひらひらと何かが落ちた。なんだろうと目をこらすと、あ、切符だ。ふたりとも気がついていない。どうせ次で降りるからと立っていって「切符が落ちたよ!」と教えてあげたら、切符には「小」の字が印刷してある。つうことは彼らはまだ小学生なんだな。「ありがとうございます!」と気持ちの良い反応が返ってきた。
 今朝は平年並みとはいえ、昨日おとといから比べると寒いからなのか、一気に電車に乗っている人たちのコートが分厚くなったような気がします。それだけ席がキツくなってきますね。だから、ちょっと油断すると隣の席にコートがはみ出しますな。
 そんなコートがはみ出した席が空いていたので、隣に座っている若者に「済みません、座らせてください」と声をかけたんですが、彼は微動だにしないし、目を上げもしません。あれ?聞こえてないのかな?それとも日本語わかんないのかな?」と思ったけど、多分、ルードな奴なんだろうなと思った。奴は降りるときも、乗る人が入って来ている中をデレデレと降りていった。もうこんな人生はどうでも良いや、と思っている雰囲気満載だったけれど、それは私の感じ方で、日頃からずっとそういう行動を正当化している奴かもしれないものなぁ。
 一番入り口に近いところに座っていたら、途中からお婆さんと大お婆さんのふたり連れが乗ってくるなりお婆さんが杖をついた大お婆さんに「三つ目だからね」といい聴かせている。「代わりましょう!」「いえ、すぐに降りますから!」「いや、私は次で降りますから」といって本当に降りる駅のひとつ前の駅で降りた。ま、良いじゃん、歩く運動になるから。てんで銀座で降りて、京橋まで歩き、ランチにしようと思ったら、既にネタ切れになっていて、残念、というわけで日本橋丸善に本を探しにいった。どうもあとで聴いたらかあちゃんも二十人展を見に高島屋へいっていたらしくて、同じ頃にあの辺をうろついていたらしい。
 結局昼飯はMARUZENに行く時に定番になっている「よもだそば日本橋店」。そうだ、そういえばもう饂飩の季節だ。ゴボウ天饂飩を発註した。衣がつるんと脱げてしまってこれでは牛蒡入りたぬきうどんだった。ここの饂飩というのはきしめんのようなひもかわなんである。好きなんだけれど、ゆで太郎のフェティチーニのような饂飩の方が好きだなぁ。
 途中でQBで髪を刈るために下車。再度電車に乗っていつもの病院に入って薬を貰おうとしたら、アッ!と驚くほどの人混みの待合室!すぐさま踵を返して帰宅。うわっ!凄い人だ!といったら、横から入ってきたお婆さんが「今日からだからねぇ」といいつつ入っていった。

ナショナリズムの昭和

ナショナリズムの昭和

 いやぁ、はっきりいって、保阪正康はこれは一体どうしたことでしょう。昨年11月に出版された700頁を超える大著なんです。え〜っ!?でしょ?それも、今日初めて本屋の棚で見つけたのですよ。なんで今まで見つけられていないのでしょうねぇ。不思議でしょうがないのです。その上ポイントの小さな活字ですよ。あ、kindle版があったらそうしたら良かったなぁ、こんな大著を抱えて歩くのはいやだなぁ。しまった!こんな値段の本だったらAmazon Primeで注文すれば良かったのだよ!あぁ、バカだった。いったいいつ読み終えるというのでしょうねぇ。 保阪正康は半籐利一とともに天皇・皇后にご進講というか、お話にいったことが何回かあるんだそうで、彼の天皇観は耳を傾ける価値がある。例のお定まりの有識者会議がヒヤリングをした知識人のひとりであるけれど、櫻井よしこや八木某なんかに比べたらはるかに客観的な現実感を持っている。

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