ほぼ足りてまだ欲 その先

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阪神淡路

 あの朝のことを思い出すと、義母と従兄弟のことを思い出します。二人は別にあの震災で被災してなくなったわけじゃない。しかしあの年の前年末に他界した義母の葬式をあの年の年初にようやく出して、初七日の法要まで済まして、やれやれと連れ合いの実家に帰ってきたところへ、今度は私の実家から電話がかかってきて、母方のたった一人しかいない従兄弟が急死したと言ってきた。
 それで彼の葬式を岡山の母の実家で出し、すぐ帰るというと叔母さんがそんなことを言わずにたまにしか来ないんだから泊まっていけという。叔母さんと二人で彼の祭壇の前に布団を並べて寝た。もうずいぶん叔母さん、うちのお袋の妹、と話したこともなかった。
 子供の頃は夏休みに何回か、このうちに泊まり、長いときは一ヶ月くらい逗留していた。岡山から総社へ行く吉備線という国鉄の吉備津という駅から歩く。ま、それも結構歩くし、もうすでに鉄道もそんなに頻繁に出ていたわけではないから、岡山の駅から天満屋デパートにあったバスデポからバスで帰ってくることが多かった。今行ってみると、よくこんな狭い道をバスが走ったものだと、感心するというよりも、摩訶不思議というくらいである。
 あの朝、不意にがくん、と来てガラス窓がガタガタと鳴った。私は咄嗟に跳ね起きて、東京にいるときにはいつもそうするように、出口確保と、裸足で玄関に降りて、がらがらと開けた。すぐに収まったような気がするが、気がついたら外を見ていた。ところが叔母さんはもうすっかり足が弱っていて、上半身を起こしたまま呆然と私を見ていた。本当に大きな地震だったら、叔母さんを放り出して自分だけ逃げていた結果になったかもしれない。
 東京に帰って来られたのは三日後だっただろうか。