ほぼ足りてまだ欲 その先

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猫の日

 猫の日なんて今まで聴いたことがない。それなのに、今年に限ってそんな日だとあちこちで書いている人がいます。いくらなんでも「2+22」だからって「にゃん、にゃん、にゃん」だってんだなぁ。
 うちには今二匹の猫様がおられますが、初代は「トラ」という名前の茶トラでした。どこからやってきたのか、知りませんけれど、同じアパートに住んでいたうなぎ屋さんが猫をもらってきたというので、その兄弟がまだいるけれど、いる?というので、ペットの飼育が許可されていないアパートだったのに、うちでも飼い始めました。つれ合いの家というか、店には昔から猫がいたそうだし、私の実家も子どもの頃には猫を飼っていましたから、誰にもなにも異論なく。
 この初代のトラは男で、かなり辛い目を見させてしまいました。途中で家族全員で外国へ赴任しちゃって、近所に住んでいた義母に面倒を見てもらっていたのですが、日頃放りっぱなしにされていたからか、義母が餌をやりに行くと足にかみついたりしたそうです。今のアパートに引っ越してから、数年して、私たちが出かけている留守に一人で死んでいました。申し訳ないことをしたと、ペット葬儀を出しました。
 その後、家族全員がペットロスに暮れていたもので、娘がもらってきたのが二代目のスコッティッシュホールドの「マツ」です。この種類は名前の通り英国人が無理矢理掛け合わせて作ったそうで、さまざまな弊害が出ちゃうんだそうで、「マツ」はまさにこれです。大きくならない、鈍くさい。何しろ猫のくせに飛び上がれない、飛び降りられない。女ですが、小さすぎて不妊手術ができない。だから年に何回か春が来ちゃって、かわいそうです。彼女は6年前のあの地震の日には娘の心配をよそに風呂場に逃げ込んでいたそうです(私たちは当日京都におりました)。
 もう一匹の雑種の「タケ」は、つい一年ちょっと前の雨の日に、娘に拾われてやってきました。生まれて一ヶ月も経っていなかったようで、雨の中「みゃぁみゃぁ」と鳴いて、その甲斐あって拾われたのでございます。よっぽど野良の時期に追い回されたのか、今でもいつでもびくびくして生きているように見えます。彼女は実に食が細くて、全然餌を食べないので、いつまでもまるで野良のようにがりがりにやせています。彼女も年に何回も春が来ちゃって、その時だけ、私の足にまとわりつきます。今でも拾われてきたときに入れていた部屋に、時々侵入しては匂い回っております。
 実はわが家の猫にはもう一匹縁があった猫がいます。それはもう25年ほど前のことになりますが、まだ生まれて間もない、ろくに目もあいていない猫を2-3匹、イベントの会場に置き去りにした人がいました。多分そこに置いておけば誰かが拾ってくれるだろうと思ったのでしょう。二匹くらいはもらい手がいて、引き取られたのですが、どうしても最後の一匹を拾ってくれる人が見当たらず、とうとううちに連れて帰ってきました。当時、家にこもっていた長男が寄り添って面倒を見てくれました。段ボール箱に毛布を敷いて、暖めて。ミルクを置いて。しかし、三日後にとうとう短い命を閉じてしまいました。長男は雄のその小さな亡骸に「小次郎」という名前をつけ、二人で埋めに行こうということになりました。それも、当時は年に3-4回は出かけていた草津の奥の山へ。息子は膝の上に「小次郎」を入れた段ボール箱を抱えたまま。いつもテントを張る山の、一番見晴らしの良い一角に、二人で無言で穴を掘り、自然木を削って墓標とし、線香を手向けて淡々と帰ってきたことを思い出します。あのときも、涙が涸れました。