ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

2.26

 そういわれて、あぁそうだ!と気がつきました。今日は「2.26」事件の日ですね。あれは昭和11年、1936年ですから昨年が80周年だったというわけですね。
 この年に、うちの死んだ親父は大学を卒業したんだそうです。この年「大学は出たけれど」というセリフが流行ったというくらいですから、当時そんなに進学率が高いというわけではなかったのに、大学卒の学歴があっても就職先に困るような景気状態だった、ということは大きな意味を持つのだろうと推測することができます。
 うちの親父は工学部の中でもほとんどつぶしがきかない学科を出たわけで、さぞかし就職先はそうたやすくは見つからなかったのだろうと思います。私がまだ高校生の頃、1960年代の中頃、ということですが、親父が50代半ばで大学の同じ学科に学んだ同級生は30人にも満たなかったようです。毎年正月に同級生の間で家族の写真を交換していました。だから、親父の同級生の名前や顔、そして就職先を目にしていました。
 彼らはその後、彼らが戦争中、徴兵されていたときにどんな体験をしていたのか、文集にしておりました。多分、嫌なこと、同級生とはいえ知られたくないことは書かれていないだろうことは想像がつきますが、それでもなかなか興味深いものがあります。多分あの年代の人たちが経験、体験したことは今の私たちには想像がつかない部分もかなり色濃くあることでしょう。その辺のことを全部ねぶってしまって、みんなが一斉に同じ行動をし、同じように中央集権的に一糸乱れぬ行動をとることを美しいといってしまう、異常な動きに棹を差さなくてはならないことが忘れられやすい状況に思いをいたすには、森友学園による国有地搾取事件はちょうど良い具体例だと思います。
 そういえば私たち戦後の生まれは教育勅語や戦陣訓を忌み嫌い、大きく否定するべきものとして、触れずに育ちました。私が教育勅語の最初の部分をそらんじることができるのはひとえに映画「裸の大将」の中で、小林桂樹演じるところの山下清画伯が大人相手に諳んじてみせるところを見てのことでした。
 「チンオモウニ、ワガコウソコウソウクニヲハジムルコトコウエンニトクヲタツルコトシンコウナリ」ったってその意味なんて全然わからない。「朕思うに」だけはわかった。「天皇が思うところによると」ってんだね。しかし、「コウソコウソウ」が皇祖皇宗だってことがわかるのに、時間がかかった。天皇さんのご一家はずいぶん長い歴史があって、系図は大変なものになってんだろうなぁ、しかし、系図なんてのは昔からそこら中に偽物が跋扈していたわけだから、にわかには信じがたいもので、これだって、結構眉唾だろうなぁと思ったのは、おふくろの実家にある系図を爺さんに見せられてからでしたね。なにしろうちの先祖だって桓武天皇だってことになっているんだから。おいおい、これじゃうちだって天皇さんのところと親戚ってことになっちゃうんじゃないの、と思いましたよ。
 あの映画を見た頃、私は小学校4年生です。見たのは清水の駅からそれほど遠くないところにあった映画館でした。その後数年して、清水東高校が会場だったのか、夏休みに「山下清展」が開催されて、ご本人を会場で見たような気がします。多分あの映画も三度ほど見た記憶があります。
 2,26事件の時に、先代の柳家小さん、あの人間国宝だったやっとうが大好きだった噺家ですが、は決起軍の一兵として雪の中、出動したといわれております。あれから日本は怒濤の如く戦争の道を突き進んで行ってしまいました。心すべき記念日として記憶に残すべきかと思います。