ほぼ足りてまだ欲 その先

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六大学

 東京六大学落語会というものがあって、昨日、その3回目があった。確か昨年は行かなかったのだけれど、一回目にいった記憶がある。六大学でやる理由は別にないけれど、金原亭馬久が出るので行く。ひょっとすると前座は春風亭一花かなぁと思ったら、案の定そうだった。馬久と一花と比べて上手い方を次から出そうと誰かがいった。これは多分東大出の噺家春風亭昇吉がいったんだろう。何しろ東大出て噺家なんかになる奴は他にいない。というよりも落語の好きな奴は東大なんかに行かないよなぁ。
 今年も立川流志ら乃と談慶だ。志ら乃はまくらで表参道でのホームレスの人たちに対する食事サービスの場に落語をやりに行った話をした。こういうマイノリティーの人たちを肴に笑いを取る奴は大嫌いで、笑う奴も笑う奴だと思う。こういうところは集団というものは残酷だ。しかも彼の演目は「唖の釣り」。こういう無神経な輩はどこにでもいるが、許しがたい。彼は楽屋の「さわり」ルールをいった上でまでこんな枕を振った。以前に桂文珍が高齢者施設へ慰問に行ったときの話を枕にしていて大変不愉快で、あれ以来文珍は聞かない。「洒落」で済むことと済まないことがある。こんなことに無神経でいたらいつまでもこの世界が社会からずれる。談志の意識が間違って伝わっているといいたい。志ら乃は明治大第二文学部卒。志らくの弟子で、談志の孫弟子で最初の真打ち。
法政大人間環境学部出身の初音家左吉は左橋の弟子で二つ目。師匠の左橋は同じく法政大卒で先代馬生から伯楽の弟子。派手な衣装で登場。「家見舞い」なんだけれど、真打ちにしちゃどうなの?と思ったらまだ二つ目だがもう10年近くになる。噺を終わって踊るというからなんだろうと思ったら三橋美智也の「武田節」の金釘流には参った。
 仲入りのあとは古今亭志ん吉。口調とか、雰囲気からてっきり志ん輔の弟子だと思っていたら志ん橋の弟子だと聞いて意外だった。大学卒業をしてから5年間のブランクがあるんだけれど、入門してから10年にならんとする二つ目。毎回様々な工夫を凝らしてくるので楽しみ。今回は演目がプログラムに「寿限無」と書いてあって、なんで今更こんな噺をするんだろうと思っていたら、いや凄い「ワセダ寿限無」になっていて満場喝采。多分この噺はここでしかやれない。それなのにこの努力はすさまじい。
 立川談慶は名前にあるように慶応大経済出身。ワコールの社員、吉本福岡経由という変わり種。談志の噺だという「人情八百屋」。談志が「芝浜」の最後でやりたそうな噺。聞いていて、こりゃ落語というよりは浪花節だなと思った。談慶は病気でもしたんだろうか。それとも50歳を過ぎて老けたんだろうか。
 で、知らないうちに決められていたというトリは金原亭馬久。はっきりいって、この場でトリは可哀想。ま、良くありそうな落語界のイジメ「洒落」。十一代目馬生の四番目の弟子。入門してそろそろ7年になる。口調が江戸のべらんめぇにならないので噺を選んでいく必要があるだろうけれど、今はなんにでも取り組んでいくのが良いだろう。「明烏」。
 全席自由席なので、ひとりで来ている人が多いものだからどうしてもひとつおきに座る。なかなか入りにくい。しょうがないから端っこがあいていた前から二番目に座ったんだけれど、一番前に座っているお婆さんがいちいち噺家の言うことに頷くのだ。こっちから見ていても、(多分、高座からみていても)とってもやりにくい。気になってしょうがない。
6,477歩