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日野原重明先生

100歳すぎても現役医師 日野原重明さん死去 (NHK2017年7月18日 9時04分)
100歳をすぎても現役の医師を続け、高齢者が活躍できる社会の在り方などについて提言を続けた、文化勲章受章者の日野原重明さんが18日朝、亡くなりました。105歳でした。(1911年10月4日生)。
日野原さんは明治44年山口市で生まれ、当時の京都帝国大学で医学を学んで昭和16年に東京の聖路加国際病院で内科医として働き始めました。診療のかたわら、病院関係者の力を総合した「チーム医療」の重要性を主張して、看護師の教育に力を注いだほか、昭和29年には民間の病院でははじめて、人間ドックを導入し、生活習慣を改善して病気を予防するという考え方を普及させました。
日野原さんは聖路加国際病院の院長や理事長、国際内科学会や国際健診学会の会長などを務めました。また昭和45年のよど号ハイジャック事件に巻き込まれ、4日間、人質として拘束されました。こうした経験から生と死をテーマにした執筆や講演を続けて高齢者が活躍できる社会の在り方などについて積極的に提言し、平成13年に出版した「生きかた上手」がミリオンセラーとなりました。
また、音楽劇に出演したり、全国の小学校を回ったりする活動を続け、テレビ番組にも数多く出演して人間味あふれる語り口で親しまれました。平成15年に放送文化賞を受賞したほか、平成17年には文化勲章を受章しています。さらに、90歳を前に出会ったアメリカの絵本をもとに、命の尊さを伝えるミュージカル「葉っぱのフレディ」の脚本の原案を手がけるなど、生涯現役の医師を貫きながら活動の幅を広げていました。
関係者によりますと、日野原さんは自宅で静養を続けていましたが、体調を崩し、18日朝6時半すぎに亡くなったということです。

 日野原先生は死んだうちの親父と同年齢でした。なんだか、これでいよいよオヤジが本当に死んだ、というような気がします。なんの縁もないというのに。
 日野原先生はクリスマスとイースターの礼拝には必ず聖路加看護大学の礼拝堂(全く場所も建物もそのままですが、かつては聖路加国際病院の礼拝堂でした)にお見えになって、祭壇に向かって右側の通路側先頭にお座りになることになっていました。礼拝が終わると、必ずご挨拶があって、ちょっと首をかしげながら、変わらぬ調子で昔の聖路加のお話をして下さいました。クリスマス礼拝では礼拝後に若い看護大の生徒さん達と一緒に楽しそうに写真を撮っておられのが印象的でした。それでも日野原先生ご自身は聖公会の信者ではなくてカトリックの方なんだというのをどこかで耳にしたことがございます。
 なにしろ超有名人ですから私なんかがご挨拶するような立場ではないので、いつも遠くからその様子を微笑ましく見ていました。
 今年の復活祭で、とうとうお見えにならなかったので、そろそろお歳もお歳だし、覚悟をしなくちゃならない時期が来ているのかも知れないなぁという思いを強くしていましたが、そんな話も聞かなかったので、たまたまなのかと思っていたところでした。
 多分逝去礼拝が行われるのでしょうが、多くの人でごった返すことになるのではないかという気がします。日野原先生をある時期NHKが密着取材をしていたことがありましたから、早晩NHKで記念番組が放送されるのではないでしょうか。
 多分聖路加国際病院の設立に尽力されたトイスラー先生方とあの笑顔で歓談されることでしょう。