ほぼ足りてまだ欲 その先

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偏見

 私がまだなんもわからなかった頃、つまり戦争が終わってまだ5年も経たなかった頃、戦災孤児の人たち、新橋や伊勢崎町で靴磨きをやっていた煤汚れたにいちゃん達を汚い人たちだなぁと思っていた。学校に入ってからも母ひとり子ひとりの同級生の家に給食のコッペパンを届けに行って、タールと油紙でできたような家に驚いて、貧乏な家族っているんだなぁと思った、なんてことを時として想い出すことがある。
 彼らの誰ひとりとして、自分が好き好んでそんな状況に陥ってしまったわけではない。結果として、あの戦争の結果として、一家の大黒柱を失い、両方の親と死に別れてしまった。それなのに、私は汚い人だなぁという印象を心に抱いた。なにがあって、どんな社会になり、その結果としてどういうことが起こったのかを全く知らなかったからだ。教育というのは無知なる人間に、人間としてどうあるべきなのかということを考えさせる力を与える為にあるのだといっても良いだろう。今から考えると良く自分自身で気が狂わなかったものだと思う。
 鶴見俊輔が「負ける時にはそっちの側にいるべきだと思った」という言葉はこんなところに当てはまるのではないだろうか。
 教育は自分が他人を蹴落として良いポジションを得る為に行われるものではなくて、無知なる自分に気が狂わなくなるような、理解力を作り出す為にある。他人を謀って自分が得をする為にあるのではないのだろう。