ほぼ足りてまだ欲 その先

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包囲網

 太平洋戦争はABCD包囲網に迫られた結果、やむにやまれず開戦に至った、なんぞとこれまで聞かされてきました。ま、これは常識なんだろ。
 しかし、ある本を読んでいて、「あっ!」と膝を打つにいったりました。というのはその「ABCD」とはいったい誰かという話です。Aはもちろん米国です。Bは英国ですね。しかし、当時英国は既にドイツにやられている真っ最中でございますね。つまり、どこで英国は日本を包囲していたのかという話です。「C」の中国に至っては包囲していたのは中国が日本をではなくて、日本が中国を、という状態です。「D」のオランダに至ってはほとんどなんの関係もないというか、やっぱりドイツのいいなり状態に陥っておりましたよ。つうことで、今の北の首領様国家に対する「制裁」に比べたら、大きく異なり、その主力はほとんど米国一カ国でございます。つまり、一対一の対決そのものでございます。ある意味、もう既にその時から従うしかない関係だったのだと考えたって良いくらいです。
 いったいどこに「ABCD包囲網」が存在していたんだという疑問符です。
 そしてこの本が教えてくれるもう一つの疑問です。それは真珠湾攻撃の直後、1941年12月8日朝11時45分にラジオで放送されたという「宣戦の大詔」です。これを宣戦布告の文章だといってきたわけですが、中をよく読めば「汝ら臣民に明示」している文章だから、これは国民に対して語っているわけで、いわゆる対戦国家に対する布告ではないんだということだ。良いか、これこれこういうわけだから、戦争するんだからね、と説明しているわけだ。しかし、当時の国民は、とにかく、畏くも陛下よりたまわりし大詔なのである、というだけで感動しちゃったのである。この辺、当時と大きく変わったのが天皇の意識であって、いわゆる頑迷保守政党はあんまり変わっちゃいないという不思議な状況になっているといって良いだろう。