ほぼ足りてまだ欲 その先

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ディベート

 日本人は学校でディベートなんてことをやらないから、人と政党に議論をするということがどうしても出来ない。だから議論になるとどうしても禍根を残す。あいつは俺のいうことに反対をしたと。
 30代の終わり頃だったと思うけれど、会社の英語クラスでディベートをすることになった。その暮らすにはひとり50代のおじさんが入っていた。ディベートをするときにはあるテーマについて賛成派と反対派に分けて、なぜそうなのか、そして相手の論点をついて、反論するということを攻守ところを変えて続けていく。そのおじさんは私と反対の組で順番が来たときに、「私はこれに反対だ」と言った。で、その理由はなんだと聞かれたときに「反対だから反対だ」と言った。話にならないわけだ。いや、ディベートはこれではダメで、なぜこうなのかを論戦を張らなきゃダメなんですよ、という話になったんだけれど、飲み込めない。
 相手をぐうの音がでないように作戦を立てて追い詰めていって、判定に持ち込む。今日の記者会での党首討論会を見ていると、安倍晋三は問い詰められて結論を言わなくてはならないところに来たら、全然違うところから話を始めていく。そのうち結論に戻ってくるのかと思っていると、あれも上手くいった、これもうまくいった、と自画自賛を繰り返して、結論に持ってこない。ディベートとしてみていてもこれは明らかに負けの対応でしかない。しかし、記者はそれ以上に追求をしない。見ている方もそんな訓練を受けていないから、あのまま逃げ切ったんだと思わない共限らない。
 朝日新聞が結構追い詰めようとしたけれど、温情なのか、徹底的には追い詰めない。多分これが日本の文化なのかも知れない。これを徹底すると禍根となってしまって、朝日新聞がまたぞろ圧力を受けるのだろうか。
 日本の教育はまだ変わってこない。