ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

休み

 なにいっちゃってんの、今や毎日がお休みでしょ?といわれてもう何年も経つんだが、それでも週末だとか、祭日の前の夜なんてことになると、とっても気が楽に適当な時間に寝て、適当な時間に目覚めて罪の意識に駆られなくてすむのがいいね。つうことはいつもは罪の意識に駆られている、つうことになるな。アハハ!だね。
 それにしても、世の中のオペラってのは、なんで聞いたことがないオペラの上演なんてないんだろうね。どこの上演もほとんど見たことがある演目ばかりじゃねぇかと思ったら、そんなことをいったら落語なんて毎回聞いたことがある演目ばかりでござる。先日の馬生だって、あれは多分、三回目くらいじゃないかねぇ。
 そうそう、先日ラジオ深夜便五街道雲助が語っていたが、彼は明治・商学部中途退学だそうだ。明治大の落研だっていうから、志の輔三宅裕司達の先輩だってことだね。彼も先代・馬生の弟子で、当代の馬生と(ということは私ともだけれど)おなじ歳ということになる。去年、なんたら褒章なんてのを貰ってやがる。噺家が勲章もらうようじゃ情けない。ま、人間国宝になっちゃう人だっているんだけれどね。
 二つ目から「雲助」を名乗っているのだけれど、ある日タクシーに乗って、運転手さんとすっかり話に意気投合した先代の馬生が、降りるときに助手席に乗っていた雲助に札を渡し、「雲助、釣りは要らねぇからな」といったと。するとタクシーの運転手さんがそれを誤解して、客が降りたら、ありがとうのひとつもいわずにさっさと行ってしまったと。後で考えたら運転手さんは自分を「雲助」と呼ばれたと思っていたんだと察したそうだ。人騒がせな高座名だ。真打ちになるときに試験があった世代で、幹部が並ぶ中で拍手も笑いもない中、話をやるんだそうだ。斜にかまえた談志がいたのを覚えているといっていた。雲助は入門してからたったの13年で真打ちに昇進している。昇進してすぐに先代の馬生は死んだ。当代の馬生は雲助よりも一年遅れの入門だったが真打ちに昇進するのに18年かかっている。
 雲助の弟子は三人で、桃月庵白酒隅田川馬石、蜃気楼龍玉とみんな揃いも揃って変わった名前を名乗っている。やたらと明るい白酒、地味だけれど味のある馬石はともかく、龍玉は一度も聞いたことがない。

追記

 ウィキペディアをさまよっていて、つい四代目の小圓遊にぶつかった。なんと彼が死んだのは43歳だったというのだから驚いた。そうか、そんな若かったのか。若くして死ぬ噺家ってのは精神的にも過敏なんだろうなぁ。談志とそりが合わなかったってのも解るなぁ。