ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

アド街

 土曜日のテレビ東京といったら、「アド街ック天国」でございますねぇ。近頃はほとんど見ないのですが、ぼぉ〜ッとみていたら、横浜だというので随分おおざっぱな話だなぁと思いながら見ておりました。なんたって、来週は深川森下だといっているくらいで、ここのところはかなり限定的に取り上げているというのに、よりによって「横浜」とは大きく括りすぎる。なんだろうなぁと思っていたら、昨日から元町のチャンスセール、つまり大売り出しなんですね。それとタイアップしているってわけです。だって多分「横浜元町」として括ったら、前にもやっているんでしょう。
 FUKUZOだ信濃屋だ、はたまた家族喧嘩別れのキタムラだと元町のお店がこれ見よがしに出て参りました。元町といったら、昔はここくらいしかデートコースで出かけるところがなくて、「港の見える丘公園」から降りてきて、元町で飯を喰う、ってコースを多用しましたね。伊勢佐木町は小綺麗さに欠けているし、当時はまだ横浜駅の西口は高島屋と相鉄名店街で終わり!という雰囲気でした。東京の友達を西口に連れて行ったら「地方都市、そうそう、仙台みたいだね」といわれました。その頃東口は崎陽軒の古いビルがあっただけでした。
 元町でもうなくなってしまったお店がいくつもあります。とても残念なのはワイシャツの店の若松屋です。一度ここで作ればカルテが残っていたものでした。ラウンドカラーのシャツを作ったのはこの店で、当時ここのワイシャツの生地とお仕立て券が贈答品として重宝しておりました。食べ物屋さんではハンバーグの「シェル・ブルー」です。当時はとても美味しいと良く立ち寄りました。どうも最近聴かないと思ったら「ジャーマンベーカリー」もなくなっちゃったんだそうですねぇ。アップルパイ、レモンパイをよく食べた記憶があります。喜久屋よりもジャーマンベーカリーでしたねぇ。The Poppyはまだ健在だそうで、ご同慶の至りでございますが、昔から手が出ない値段で、一度も買い物をしたことがございません。ここで何度も書いていますが、VANの茶系の千鳥格子のジャケットが8,000円だったときに、ここのほぼ同じようなジャケットは8万円していました。とてもとても。
 かつて大桟橋のたもとに英国領事館がございました。今は横浜開港資料館の中に建物が残っているそうです。1970年代にはまだ領事館として機能しておりました。勤務先の工場で英国籍の船を建造していた頃で、船の登録書類に領事のサインが必要で、勤務していた清水からどっさり書類を風呂敷に包んで持っていきました。もちろん事前に電話をしてアポイントメントを取っていくのですが、受付に申し出て、書類を預け、サインをして貰う間、待合室で待っています。総革張りの椅子に腰をかけるとぎゅーっと音がして、慌てて座り直して、また音が出て、まぁ実に落ち着かない、どっしりとした建物でございます。
 この建物の前のビル、二階にSCANDIAという名前のレストランがありますが、当時ノルウェーから駐在でやってきていた船会社の監督ふたりとここに上がったことがあります。かれらはアクアビットを呑んだのかも知れませんが、私はアイリッシュ・コーヒーを飲んだ記憶があります。なんでだったのか記憶にありませんけれど、アクアビットには懲りていたことは確かです。
 あの頃の赤レンガ倉庫近辺は税関埠頭でしたから、私たちが入れるわけもなく、今のようになってから私は行ったことがないので、あのあたりには未だに足を踏み入れたことがありません。
 今の横浜は私が生まれて育った横浜とは大きく変わってしまいましたので、もはやわけがわかりません。何しろ最初のあのあたりの想い出は、桜木町から伊勢佐木町までずっと米軍に接収されていて板塀で囲ってあった、というものだったからです。