ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

深夜放送

 今の民放の深夜放送はもうすっかり聴かなくなったというか、聴いても何をいっているのかわからない会話ばかりだし、ひどいものはAV女優というかわけのわからない子を連れてきて、下ネタなんてもんじゃない会話をしていて驚いてそれ以来触らない。もっぱら眠れないときはNHKラジオ深夜便だよ。
 けれど、その昔、といっても半世紀ほど昔は受験勉強だといってぼぉーっとSONYトランジスターラジオを机の上に置いて、そのまま聴いていた。それにはちゃんと理由があって、文化放送の旺文社提供大学受験講座があったからだろうな。あれがなかったら、深夜の時間をラジオにとられなくてすんだかも知れないと人のせいにしておこう。
 あまたあったラジオの深夜放送の中でも良く聞いたのは土居まさるや乾信夫かなぁ。高崎一郎や糸井五郎のあのわざとらしい語りが良く引き合いに出されるけれど、私はなんだか田舎くさくって好きじゃなかった。亀とアンコウもすきじゃなかった。亀淵がホリエモンニッポン放送買収騒動の時に社長だっていって出てきたときには驚いた。あんなんで社長になれるのかって。
 当時の深夜放送のスポンサーはいろいろだったけれど、手の届くようなスポンサーだった。土居まさるの番組は確か予備校だった。ニッポン放送に「ラ・セーヌ ヒットソングアワー」というのがあった。タイトル・コールっていうのか、女性がエコーガンガンの中で、張り上げたかと思うと、オープニング曲がなんと行進曲の「旧友」ですよ!これって、ナチスの行進曲です。運動会やってんじゃないんだから!真夜中に!

行進曲「旧友(Alte Kameraden)」
 想像つきます?真夜中ですからね、草木も眠る丑三つ時ですよ!このセンス、どうして良いかわからなくて、概ね聴かずに寝ちゃった。「ラ・セーヌ」というのはどうも新宿にあったジャズ喫茶だっていう。当時のジャズ喫茶といったら普通はいわゆるロカビリーだとか、ハワイアン、はたまたカントリーなんかのライブハウスだったんだから、ラ・セーヌもそんなところだったのかも知れない。私がようやく銀座の「ACB」に足を踏み入れた頃のことだ。