ほぼ足りてまだ欲 その先

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新宿

f:id:nsw2072:20181101203139j:plain:w360:left 先週に引き続いて、今日も保阪正康のレクチャーを聴く会だった。私は事情があって、7-9月の会を欠席していたけれど、10-12月の会は何か事情があったらしく、不定期な予定になっている。そのせいなのか、先週に比べると今週は出席者が多少少ない。先週座れなかった前から2列目に座れた。
 今日配られた資料の最後に、なんとウィキペディア原敬に関する項目がコピーされていて、なんちゅう事なんだろうか、と思ったら、保阪氏曰く、今朝東京へ戻ってきて、資料を取りに行くことができなかったので、甚だ不本意ながらウィキペディアなんかをとりだしたと云うことだった。如何にウィキペディアが学生に悪い影響を与えてきたかについて語ったのが印象に残るが、確かに10数年前頃の大学では、宿題を出されるとウィキペディアを丸写しする連中がいた。今じゃばれているからそうでもないんじゃないだろうか。
 私が初めて原敬の名前を印象に残したのは、多分高校生くらいの頃ではないかという気がする。「原敬日記」というものがあるとどこで知ったのだろうか。現物は見たこともない。どうも膨大な量のようで、手に入れたいような、入れたくないような気がするし、多分今後こんなものを入手することは不可能だろう。
 原敬は別に普選運動をしたわけでもない。まだ日本国民は未熟だから普選にしたらいけないといっていたらしい。そんなことをいったら、今だって、日本国民が熟しているとはとても思えない。大臣経験者が平気で日本は伝統的に民主主義だったなんて、嘘を平気でいうような国だからね。
 ところで中国の国民党政府が共産党に負けて台北へ逃げたわけだけれど、その時に、国民党軍は全部が逃げたわけじゃないという話があるらしい。つまりどういうことかというと、国民党の幹部の中には多くのスパイがいたというのだけれど、これは本当なんだろうか。
 今日も昼時の新宿西口へ向かう地下道は多くの人が行き交う。とても昔この辺が淀橋浄水場だったなんて思えない景色だ。
 大江戸線上野御徒町へ出て、仲御徒町にある量販店でトイレのリフォームの金を払い、都バスで雷門に出て銀行により、昼飯を食って家に帰る。浅草寺の裏には平成中村座の小屋がけができている。今日から公演が始まる。次回からは平成中村座ではなくなるんだろうか。