ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

東京の東

 江戸時代の江戸の下町といったら、日本橋と京橋の間をいうんだそうだ。狭い社会だった。
今東京の下町というと、ほとんど海辺、そして東の方あたり、つまり、戦後あんまり恵まれなかった層が暮らした地域をそう呼んでいるようだ。台東、荒川、足立、江東、江戸川、葛飾・・ってところになるだろうか。バブル期にも土地は上がらなかったし、戦後まもなくの間は良く台風や大雨の度に水が出た。だから、高度経済成長期に地方から「金の卵」なんぞと云う言葉でごまかされて駆り出されてきた東北出身の少年・少女たちが、生活の拠点を築くのには、やりやすかった地域だ。言葉も東京ッ子の前では訛りが出ちまうから、億劫だったが、浅草や上野のごった返した中に行けば仲間にも出会えるし、気が楽だった。長ずるに及んで、彼らはそのままこの地域に残っている。今でも爺さんふたりが大きな声で故郷の訛り丸出しで大きな声で喋っている。ひょっとすると彼らの故郷の若者が既に訛りが薄まっているにもかかわらず、ずっと「東京」で暮らしていた彼らの訛りの方が濃かったりする。まるで、日本から移民していった一世が、移民先の日本人コミュニティーで、その当時のままの言葉を使っていたのと同じようだ。つまり、彼らは「東京」へ移民してきたのだ。
 今朝のバスの中では、そうした「東京移民」の爺さんたちが訛り丸出しで喋っていた。