ほぼ足りてまだ欲 その先

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星野

 今や星野といったら星野源だそうだけれど、私は知らない。知っているのは71歳目前で死んだ野球の星野仙一だ。明治大-中日の投手。鉄拳制裁型とか言われる。巨人憎しで野球をやっていたのは知っていたけれど、なんでそうだったのかは知らなかった。
 彼らが東京六大学野球でプレイしていた時期はかなり大型の選手がいて、法政の黄金期だった。なにしろ田淵幸一がいて、広島に行った山本浩二、南海に行った富田勝がいて他校はそうそう勝てそうになかった。彼らは私よりも歳は一歳上だけれど、学年が二年上だ。私が一浪したからだ。(今から考えると単なる意地で浪人しただけで考えが浅かった。)
 とにかく田淵幸一が背の高い捕手で、群を抜いていたから、神宮球場では良く目立った。その割に星野仙一の記憶がほとんどないのはどうしてなのだろうか。
 私が在学中の優勝校は慶應義塾、法政、法政、早稲田、明治、法政、法政、法政だった。一年に入ったばかりの春シーズンが慶応の優勝だけれど、そのシーズンにうちの学校が二位だった。だから多分この時から神宮へ良く行った。学校の先生に、今日は重要な試合が神宮であるから、休講にして下さいとお願いに行ったことがあったはずだ。如何に勉強をする気がなかったかがわかる。
 阪神ファンだった星野が明治大と阪神の確執から、巨人を希望していたにもかかわらず巨人から指名されずに中日に行って、やっぱり巨人にいきたかった田淵は阪神が指名権を得て、いやいや阪神に行くことになった。未練たらしい行動に腹が立った。何しろ私は当時阪神ファンだった。この年に巨人が得たのは、横浜の武相高校出身の島野修。現役時代はあまりさえず、引退後阪急のマスコットに入って活躍した。世の中はなかなか思うようにはならない。島野は2010年に脳内出血で他界している。早い。
 星野仙一は同年代だったこともあるから、何かにつけて、あのえらそうな態度が気に入らなかった。あからさまに感情をぶつける単細胞なくせに、周りがなんだかんだともて囃すというタイプだからだ。スポーツ界や芸能界で大物といわれる人物に尊敬できる人間性を見いだすのはなかなか難しい。恐怖政治を敷く輩にろくなものはいない。
 その星野仙一も病には勝てなかった。それでもここまでやってこられたのだからもういうことはないだろう。