ほぼ足りてまだ欲 その先

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泰明小学校

 いやあ、全国区になりましたねぇ。全てあの校長先生のおかげですね。わたしにとっては「泰明小」はもう40年来の親しみのある名前なんでございますよ。いや、別にうちの子ども達が通っていたわけじゃないのですが、あの小学校の前に路地がありましてね、あそこの路地で夜な夜な、酔っ払っておったわけでございますよ。いやぁ、良くあそこで呑みました。それこそ30歳そこそこの頃なんぞは金曜日の夜、夜っぴいて呑んでおったくらいでございます。仕事がどうにか区切りになったら事務所の下から千代田線に乗って日比谷でおりますと、日生劇場東京宝塚劇場(昔のアーニー・パイル劇場ですが)と帝国ホテルの間の道をいってガードをくぐったあたりから左手に泰明小、右手がリッカービルでした。その角を右へ曲がると、あぁな、怪しやなぁ〜!突如現れる昭和の飲み屋街。左手には薩摩料理の呑み屋、その隣がなぜかシェリー酒どうとかこうとか。あ、月光荘だったな。右手はリッカービルの壁、その次に3軒ほどの雑居ビル。左にはBenihanaへ通じる路地。曲がりくねっていて、まるで新宿ゴールデン街のような有様。中華の東生園、左には焼き鳥のなんたら、その先に蕎麦屋で夜は二階が呑み屋になる「泰明庵」。東生園と「泰明庵」は今でも健在だ。泰明庵のお姉さんも(そんなことをいってはなんだけれど)ベテランになった。あそこは早い時間に行くと、近所の飲み屋のおじさん、おばさんが腹ごしらえにやってきて、自分が食べたいものを勝手に注文する。お浸しは何があるの?なんて聞いている。大体がほうれん草だね。だから、この時間に店内に貼ってあるビラを見て注文するのは通りかかったサラリーマンくらい。常連さんは見もせずに勝手に注文。そんな時間に入る時は、おおむねとろろせいろを頼んだ。下手な時間に行くと満席で座れない。
 東生圓はおおむね焼きそばか炒飯。これが旨かったなぁ。そういえば近所に明石焼きの店があったこともあるな。初めて喰った時は驚いた。関西出身の連中が食べたがった。
 入り浸っていた店は同じような年代のサラリーマンばかりだったけれど、業種はひどく違っていて、薬業界、化粧品、映画業界、テレビ系、出版系、重工産業、金融系と手広かった。しかし、入ってくるなり、どんな業界なのかが瞬時にわかるのが面白かった。
 それにしても(ここからが本題)、アルマーニの標準服だとはおふざけも極地である。私立の学校だったら、それも売り物にできるかも知れないけれど、公立、中央区立の学校だからねぇ。確か、島崎藤村とか、池田弥三郎先生もここじゃないかなぁ。いくら、今この学校が特殊な立場に置かれていて、中央区のどこからやってきても良いということになっているとはいえ、いないとは限らない地元の児童がこのアルマーニを買えなかったとしたら大問題ではないか。ここから先のこの学校のあり方として、「アルマーニを買える人に限定」というわけにはいかないだろう。「標準服だから着なくてもいい」という言い逃れはできるけれど、実際問題として子どもの心に立ったら、そんなことできないというものだ。
 それでもネット上では「あの校長先生はとても良く児童のことを考えてくれる先生で、あの先生だからこそこの学校に子どもを入れたくなった」という言葉さえささやかれている。それと、これとは話が全く別だということに気がついていない。これではまるで東条英機について孫娘(そういえばあのおばさんは最近テレビで見ないねぇ)が「家ではとても優しいおじいちゃんでした」というのと同じだってことに気がついていない。
 教育委員会は一体何をしていたのか、というか、この校長は教育委員会にもなにもいっていなかったのか。こんな発想が平気で行われること自体に今の社会の危うさを感じる。
 こうなったら、地元にほとんど児童もいないようでいながら「伝統を絶やさない」という発想で残されている、麹町小やら、永田小ともあわせて、廃校にしたら良い。跡地は高く売れるぞ!