ほぼ足りてまだ欲 その先

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中退

 高校を中退するということが何を意味するのかというと、中卒が最終学歴となってしまうということだ。では、なぜ高校を中退することになってしまうのか。ついて行けないからだろう。ま、それだけじゃなくて、面白いことがないから、学校いってもしょうがない、というのもありだなぁ。
 では、ついて行けないという場合はどこからついて行けてないのかといったら、ほとんどの場合は中学から既について行けてない。然るにそれはなぜかといったら、小学校の段階でもう既について行けていない子どもがいる。それはもう私が子どもの頃から垣間見えていた。学習障害がある子どもも一定の割合で存在する。しかし、それだけではない。九九の段階でもうおっこっちゃうこどもが現実にいる。私でもその危機にあった。実は今初めて明かすことだけれど、中学時代にどうしても九九のあるポイントが思い出せなくて、答案用紙の裏に○を縦横に並べて書いてそれを確認したことがある。
 ついて行けない学校には、後々、もう一回そこからやり直してみよう、と思った時にやり直せる手段があると良い。今各地の自治体では「生涯学習」てなことをいっているけれど、それはこの手のものとはちょっと違っている。夜間中学が今その役割を担っている側面がある。それをちゃんとしたシステムにすることが行政の側に求められる。city collegeの様なものを立ち上げれば良い。アメリカにはある。基礎教育をやり直したい人たちがやってくるから、老若男女なだけでなくて民族も様々だ。残念ながらこの国ではそうした人たちへの支援システムはない。夜間中学の本来的役割はほとんど終わってしまっていて、実はこっちの側面の方が大きい。しかし、そのままだ。外国人研修・実習制度が単なる外国人労働者就労システムになってしまっているのに、看板はそのままで労働奴隷化しているのと似ている。行政が本気で仕事をしていないことが良くわかる。
 ひとつ引っかかってしまうと、つかみきれないままの基礎的なポイントは後々まで尾を引く。私の数学は連立方程式あたりまでは面白かったのに、微分積分が出てきて、そこで全ては終わりになった。数学III以降は全くお手上げで、触るのもいやで、数-IIIの教科書なんてその後ぱったり開かなくなった。
 そういえば会社員時代の最後の頃に、理系出身の数年先輩の男に「はっきりいって君たちみたいな製品の科学的解析ができない社員はうちみたいなメーカーには要らないんだよ」とはっきりいわれたことがある。なるほど、あながち間違っちゃいないかも知れないなぁと思ったんだけれど、こいつは本気になってそういっていた。ま、私はその程度の能力しか持っていないんだからしょうがないかとは思っていたけれど、微分積分から先がわからないとこんなこともいわれちゃうのかと、職業選択を間違ったなぁとは思った。けれど、それはもう手遅れだったな。彼はその後どうしたんだろう。微分積分のわかる人だけの会社でも興しただろうか。