ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

岡田武史

 昨日のNHK BSの「岡田武史とレジェンドたちが斬るFIFAワールドカップ」はかなり面白かった。レジェンドたちといっても出てきたのはラモス瑠偉(1957年2月9日),木村和司(1958年7月19日),水沼貴史(1960年5月28日),松井大輔(1981年5月11日)とNHKのアナウンサーの山本浩(1953年4月12日)だった。岡田武史は1956年8月25日生まれだから山本を除くとこの中では最年長ということになるが、4人はほぼ同時期にプレイをしていた連中。私は木村が一番歳上だという印象を持っていたが、それはルックスだけのことだったな。
 ドーハの悲劇について、彼らの一致した想い出はやっぱりワールドカップというのは一段上のステップで、まだ早かったんだろうなぁというのには、思わず頷いてしまった。当時の中継の映像が残っていて、東京のスタジオ解説に岡田武史田嶋幸三が出演していて、彼らは絶句して何もいえなくなっていたのが印象的だった。
 岡田武史がいうには読売と日産がプロ選手を抱える球団だったのに比べて古河は午前中仕事をして、午後から移動して練習をしていたから、会社員としては全く残業もないので、収入では相当苦労していたんだという。
 彼が古河の人間としてコーチを務めていた1995年に代表チームのコーチに就任した。「おめでとう」といったら「代表チームのスタッフは身分が不安定ですからね、喜んでばかりはいられない」といったのを良く覚えている。いわれてみれば確かに明日をも知れぬ立場だ。
 私はこの歳の中頃に日本を離れたが、1997年にフランスW杯を前にして加茂監督が更迭されてしまい、岡田武史にお鉢が回ってきた。岡田武史の話では「とりあえず一試合」としてウズベキスタン戦の旗を振ったそうだ。この時5人を一列に並べる布陣に自信を持ったと番組で明かした。
 このチームはW杯前の1998年2-3月頃に豪州のアデレードでキャンプをした。(これは百回話です)日本へ帰る前にSydneyへ寄って地元のチームとBlacktownだったかで親善試合をやった。スタンドも「なんだ、これ?!」っていうようなものしかない、ベンチもただ金網に屋根がついただけ、クラブハウスなんてブロックの小屋、というピッチだった。
 試合前に岡田武史がそのベンチに座ったから挨拶したことを想い出す。この試合で、あの野人・岡野が走り込んで1点とった。その1点だけで試合は終わったが、今から考えてみるとあの時には中田英寿三浦カズもいたはずだ、しかし、私の記憶はただただ野人・岡野で終わっている。
 岡田武史が2009年頃に彼の母校である早稲田大や他の大学で講演をしている。この講演の記録を読むと、かなり面白い。→こちら。私は自分の母校での彼の講演を聴いた。
 岡田武史は古河のプレイヤーだったときは苦労をしていたといったけれど、代表監督、J1の監督をやるようになって、どんどん着ているものが上等になっていったのも良い想い出だ。これからますます彼は日本のサッカーにとって重要度を高めていくことだろう。
 木村和司トルシエのことを「大嫌いだった!」といったり、ラモスが「もうドーハの映像は見たくない!」というコメントが正直なところのようで、この番組の面白さだった。
 久しぶりに昔のことを思いだした。