ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

松本商店街

 私が育ったのは東横線の反町という駅から多分歩いて10分くらいのところだった。当時は旧道沿いに商店街があって、駅から家に到着するまでに、その商店街を歩いてくるとずっとお店が続いていた。
 駅前のバイパスに、何軒か戦後の店があった。八百屋、肉屋、写真屋呉服店、たばこ屋、もう一軒の八百屋。このうち、福富精肉店、鈴木写真屋、久の屋呉服屋はそれぞれ同じ学年の子どもがいた。写真屋の前を通ると、現像液の酸っぱい匂いがした。この写真屋横浜駅の西口に相鉄名店街ができると出店した。
 その反対側には亀屋和菓子店、電気店、本屋、パチンコ屋が並んでいた。線路を挟んで東側にも何軒か店があって、洋食屋、鮨屋、パチンコ屋があった。ハヤシライスを食べたのはこの洋食屋だった。グリーンピースが乗っていた。鮨屋は「おかめ」という名前だった。うちはここから出前を取った。電話をすると「もしもし、おかめさん?」というのがわれながらおかしかった。この辺の裏、電車のガード下を含めてどうやら青線だったらしくて、子どもの頃はこの近辺は近づいてはいけない地域となっていた。長ずるに及んでたまたま通りかかってみると、小さな飲み屋が並んでいたのが、その名残だったんだろうか。
 バイパスから旧道へ入るんだけれど、東側には洗い張りの店、布団屋、内科の医者、床屋。その西側には小川屋という中華そば屋、電気店、喜利屋という和菓子屋、カラオケ屋になった斉藤洋品店、角を曲がって、おもちゃの大木屋、精肉店、だるま屋という屋号のたばこや、蕎麦の出前を頼んでいたやぶ蕎麦、乾物屋、交番、魚多といういつもお客がたかっていた魚屋、洋品屋、平原家具屋。北側に、瀬戸物屋、酒屋、浅井クリーニングという洗濯屋、文房具屋、レコード屋、歯医者、手芸用品屋、池田酒店、バス通りを渡って、北側は和菓子屋、ガラス屋、駄菓子屋、南側は角が消防署で、数軒置いて、花や、牛皮の鮎が名物だったうさぎや和菓子店。金物屋、かやしま写真店。その先はもうほとんど思い出せない。
 ちゃんと書いておかなかったから、もうほとんど思い出せないんだよなぁ。あぁ、本郷書店にはお世話になりました。それから塚越という名前だったと思うのだけれど、夏はかき氷、アイスキャンデー、冬は今川焼きの店にも良く行きました。
 栗田谷の坂道は昔はもちろん舗装なんてしてなかったので、雪が降るとすぐに積もった。だから朝早く、そりを持ち出して滑った。上からスキーで降りてきたお兄さんがいたことは忘れられない。お兄さんは下の方でぶつかったのか、血を滴らせながら登っていった。川に落ちなくて良かったよね。その川もとっくに暗渠の下に埋められた。