ほぼ足りてまだ欲 その先

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夏の海

 小学校5年の夏休みといえば、毎日毎日、三保半島の先端にある真崎海水浴場に通っていた。おふくろが握ったおむすびを二個もってバスで終点まで行き、そこからとことこと歩いて岬に行く。そこにはうちの親父が働いていた会社の海の家があって、鉄骨で作った枠に、板を並べて床にしてあるだけ。他にシャワーとトイレがあるだけの実に簡単な海の家だった。何軒も並んでいる海の家の一番端っこに建っていた。要するに会社の更生施設としての海の家だったわけだ。だから、平日にそんなところにやってくるのは夏休みの小学生くらいしかいないわけだ。本当に毎日毎日、一日も欠かさず通っていた。何が面白くて通っていたのかといえば、それまで10mもろくすっぽ泳げやしなかったのが、いつの間にか、どこまでも泳げるようになっていたことだっただろう。
 その何にもない海の家も、会社の購買部から届けられる材料でちょっとしたものが食べられる。もちろん飲み物も売っていたんだろう。海から上がってきて、おむすびを食べながら暖かい蒟蒻の味噌田楽がとってもおいしかった記憶がある。あれは一体誰が作っていたんだろうか。
 当時の三保の小学校にはプールがなかった。その後進学した私立中学にもプールはなかった。東京に帰ってきて入った公立中学に真っ青なプールがあるのにはウキウキした。すぐさま水泳部に入ったら、シーズンが来る前に右手を家で大けが。練習にも出られなくて、一泳ぎもせずに退部。その水泳部には後々まで残るこの区の中学記録を出した田原籐之助という役者みたいな名前の同級生がいた。60歳を超えて、彼と高校で同級生だったという人と知り合った。彼はどうしているだろう。