ほぼ足りてまだ欲 その先

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都電

 うちのつれあいは中学・高校と私立の学校に都電で通っていたんだそうだ。中学から一緒だった同級生がちょっと先の方から都電に乗ってくるんで、示し合わせて22番の新橋行きの都電で浅草橋に行き、そこから今度は12番の新宿駅前行きの都電で学校近くまで行ったらしい。
 私が生まれて初めて都電にひとりで乗ったのは、晴海通りを走って築地が終点だった8番だったようだ。中学二年だったか、三年生の時に、私は新聞委員会というのに属していて、年に二〜三回出していた中学の新聞の編集発行を担当していた。なんでそんな役割をやっていたのかというと、二年の時に、授業でクラス新聞をガリ版で作ろう、という授業があった。今から考えてみたら随分前向きな授業で、多分国語の時間だったのではないか。しかし、それを担当した先生を思いつかない。校内のバレーボールのクラス対抗大会があって、うちのクラスは負けてしまったのだけれど、その記事に「惜敗す!」と書いたのが先生受けして、それがきっかけでその新聞委員会に入ったんだと思う。記事もどれほど書いたのかまでは全然覚えていないが、先生が最終的にまとめてくれた原稿を築地の印刷屋さんに持っていく、というのが私のある日の仕事だったらしい。京浜東北線で有楽町まで行き、朝日新聞日劇があった数寄屋橋から8番の都電に乗り、往復切符を車掌さんから買った記憶がある。横浜にも同じような市電があって、小学校4年の夏休みに、毎朝青木橋から市電に乗って本牧を通って間門の小学校まで臨海学校に通った経験があったから、別段なんの不安もなく、楽しく乗った。それにもう既に中学二年であったし、なにしろ横浜から大森まで毎日電車で通っていたのだから、なんにも困らなかった。