ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

50年前

 学生の時に出来たばかりの音楽サークルに入っていた。二年先輩がつくったばかりだった。自分からそのサークルを見つけてきたわけではなくて、同級生がある日、ドラムを貸してくれないか?という。そりゃなんだよ、と聞いたら、サークルが学園祭で演奏をするんだけれど、ドラムを持っている奴がいないんだよ、という。ということは、ドラムを叩く奴だっていないってことじゃないの?と尋ねたらそうだという。だったら俺ごと借りれよ、ということでどこかの教室を借りてやった練習に参加したのが始まり。
 その時から在学中はずっと同じ4人で演奏し続けた。その時のギターのひとりとは未だに一緒にやっている。もうひとりのギターとは数年に一度くらい、何かのきっかけで逢うし、連絡もついている。しかし、ベースの男とは卒業以来全く逢っていない。どこの会社に行ったのかは知っていたけれど、もうそこも退職しているだろう。
 昨日、三人で久しぶりに呑んだ。いないのはそのベースの男だ。この三人のうち一番最初にこのサークルに入った男がいうには、一年生では彼が最初に入ったそうだ。で、集まりにいった時にそこにいた男の肩に手をかけて「今度入ったんだよ、よろしくな!」といったら、それが「バカ、俺は三年坊だ!」といわれて焦ったという。その三年生はのちにGSのキーボード奏者にしてバンマスとしてヒットを飛ばした。三年生の中には他にもGSのビッグなバンドのリードボーカルとして今でも唄っている人もいるけれど、彼にはサークルでは逢ったことがない。もうすでにデビューしていたのかも知れない。この人には嫌がられていて最近はほとんど逢わない。
 三人で話せば話すほど、自分が知らなかったことがでてくるし、自分が全く忘れていることも出てくる。「あの時、お前もいたよ」といわれて面食らうこともある。それが自分だけではなくて、それぞれにそれがあることが少なくとも救いになる。救いにはなるけれど、全く想い出すわけではないのが、悔しい。
 その学園祭以降、四人で、ビートルズ・ナンバーを中心にして演奏活動をしていたが、ある日、ギターの奴が女性週刊誌のクリスマス特集かなんかに、バンドの出張演奏承ります、を出した。すると、本当に演奏依頼が来た。女子大のパーティーとか、謝恩会の余興に行った。当時、ひとバンド2万円のギャラだったけれど、楽器を運ぶのを手伝ってくれる友人もいるし、なにかというとくっついてくる奴もいて、そのギャラのほとんどはみんなの飲み食いで消えた。楽器の月賦は他のアルバイトで払っていた。
 そんな活動を良く思わない連中もいたのは、大学紛争のあの時代では当然だ。「花だ、太陽だ、愛だ、恋だなんてことを唄っている場合じゃない!」といいだしたのがいて、サークルを潰されそうになったことがあった。それだったら、サークルから出ていったら良いじゃないかと思うんだけれど、そう思わなかったようだ。
 話せば話すほど、次から次に当時の話が出てきて、尽きることがない。おばさんたちが電話で長話する気持ちが良くわかるというものだ。