ほぼ足りてまだ欲 その先

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福島第一原子力発電所

 2011年3月11日があの日だったから、今年の3月11日が巡ってくると丸8年ということになる。もうそんなに経ったのか、とも思うけれど、放射能半減期のことから考えたら、まだまだたったの9年なんだから、やっぱり原子力エネルギーとはかくも厄介なものだとの思いを新たにするだけである。
 もうほとんど語られることがないけれど、現場は全く何も好転していないし、何も将来的なスケジュールが確かになったわけではない。核燃料は完璧に突き抜けているだろうから、これを人間のチカラで回収してどこかに封じ込めて管理するなんてことはとても現実できなことではない。

 多分このまま無害化される時期が来るまで福島第一原発はこのままいつまでもぷすぷすと汚染された水と、空気汚染を続けるしかない。それが何を意味するのかといったら、いつまでも太平洋を汚染し続けるわけだ。地球の海は放射性物質とマイクロプラスティックスで埋められていくのかも知れない。

 日本政府も、そして日本政府に懐柔されちゃっている肝心のマスコミも真正面から福島第一原発について継続的に国民に対して報告をしていない。国民の側も、もう面倒くさくなってしまっている。国は原発周辺の地域にどんどん「さぁ、故郷に帰りましょう」といっているが、環境が特段好転しているわけではない。ある日気がついたら、すっきりさっぱり綺麗になっていたらどんなに嬉しいか、と思わないではないけれど、そんな奇跡が起きるわけがない。噴出してしまい、未だにコントロールなんて出来ていないからだ。いや、コントロールなんて出来るわけがないことはちょっと考えればすぐにわかる。自然を封じ込めて御したつもりがなにも思いの通りにはならなかったということだ。

 さぁさ、もう故郷に帰りましょう、住宅補助はもう終わりですよ、と勝手に救済策を取り上げている。イヤなら自分で全額住居費を負担しなさいよ、といっている。じゃ、この施設を建設して運営してきた東京電力が負担するべきだと思うけれど、彼らは事件が起きる前から、いざとなったら国が肩代わりするような法制整備を自民党献金をしてやってきた。用意周到である。浮かれてその気にさせられて放り出されたのが地元自治体だったわけだけれど、今頃気がついてももう遅い。

 私たちはもうあと10年も持たずにこの世におさらばする。だから、見届けることが出来ない。あ、いやいや次世代だって綺麗さっぱりになった姿を見ることは出来ない。ずっと未来の地球人に、申し訳ないというしかない。私たちが本当に愚かだったのです。自然の摂理をコントロールなんて出来ないのです。