ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

1968年

 NHKの「移住50年目の乗船名簿 特別版」を全編録画した。少しずつ見ている。NHKの記録の原点はここでは1968年に横浜を出発した大阪商船三井船舶所属の「あるぜんちな丸」だった。次から次へ、あの船で南米に渡った人たちのそれぞれの10年目、20年目、30年目、そして50年目が語られる。大きな家族と現地で暮らしている人もいるし、日本へ帰ってきてしまった人たちもいる。悲喜こもごもとはこのことだ。
 ここに出てくる「あるぜんちな丸」は二代目で、1958年に三菱重工神戸で竣工しているから、この時、まだ10年目の船である。この年、私は一浪して入った大学一年生で、横浜の港でのアルバイトで小遣いを稼いだりしていた。そんなことをしないで勉学に励めば良かったのに、一浪してなんでも我慢していた反動が働いて、遊ぶ金ほしさだった。そんな時、たまたま移住船の荷物運びをやったことがある。私が午前中運んだのは人間の身体くらいありそうな大きなズタ袋に入った昆布だった。移住者の荷物だという。持っていって商売にするらしい。この船の名前はもう忘れてしまったけれど、とにかくボロボロで、何しろ外板が鋲で打ってあったくらいだからいったいいつの船だったのだろう。そんな荷物を持っていく移住者の船室は三等で、船底まで降りると、なんとハンモックがつってあった。あまりの荷物の重さに、効率がはかばかしくないのを見て取った現場の棒芯がいったのだろう、午後は船まわりの郵便配達になった。車にのっけて貰って、岸壁に着いている船に書類を届ける役で、これなら体力は関係がない。それでいったの船の中のひとつが「あるぜんちな丸」だった。
 この番組の移住10年目というのは1978年で、私はとっくに社会人になっていて、台湾やアメリカに出張していた頃だ。あまりの境遇の違いに、驚くばかりだ。そういえば1971年に就職した会社の独身寮に、高校を卒業して入社してきた同僚がいて、彼がブラジルへ移住したいといっていたことを思い出す。彼はその後いったいどうなったんだろうか、という話をここにもう三度書いたかも知れない。