ほぼ足りてまだ欲 その先

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無自覚

 近頃、私の周りでも、一般的にも「昭和歌謡」といういい方が流行っていて、あっちでもこっちでもライブに「昭和歌謡をお届け!」というような言葉が踊っている。なんで、わざわざ昭和歌謡なんだろう、と思っていたんだけれど、気がついたら、昭和が終わってからとっくに30年も過ぎていて、だから、あの辺の歌はもう30年以上昔の歌だってことなのだ。それを懐かしむ、ってことらしい。
 私が高校生の頃、つまり1960年代だけれど、うちの親父やおふくろはテレビ東京(当時は東京12チャンネルといったかも知れない)の懐メロ番組をテレビで良く見ていた。今、ラジオ深夜便の午前3時台で時々特集されるような、田端義男、三橋美智也岡本敦郎岡晴夫、春日八郎、霧島昇小畑実渡辺はま子、菅原都々子、二葉あき子・・・枚挙にいとまがない。
 ということは昭和歌謡というのは、本当はわれわれの世代にとっての懐メロじゃないのか、と思っていたら、今のアラフォー、アラフィフにとっての昭和の唄ってのは多分1980年代ってことらしいね。その頃はバブル真っ盛りで、私たちは仕事に追われて、ほとんどテレビの歌謡番組を見る余裕がなかったのかも知れない。彼らが選択する歌のほとんどはメロディーはわかっていても、歌詞はほとんど入っていない。
 ところが親父やおふくろが喜んでみていたあの戦後から10年そこらに聴いた唄は、何も見なくても歌詞を諳んじることができちゃう。まだ脳のHDDに充分なスペースがあったんだろうか。今日も風呂に入って、ラジオをかけていたら、ちょっと後だけれど、橋幸夫吉永小百合の「いつでも夢を」(1962年9月)がかかった。身体を洗いながら一緒になって唄うことができちゃう。鼻歌じゃなくて、ちゃんと歌詞を諳んじて。当時私は14歳で、高校受験を控えた中学三年生だった。この歌詞が入るところに、音楽理論を入れておいたら翌年の都立第一志望に受かっていたのになぁと思いだしたのであった。