ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

習慣化

 どうも夕飯を食うと眠くなってしまって、概ね21時くらいから午前0時くらいにかけて寝てしまう傾向にあり、これではいかんなぁと呟いたら、それが習慣化しているんだから良いんじゃないか、という説もある。こういうのを良い習慣とはいわずに悪い習慣、と云うのではないだろうか。しょうもない議論に時間を費やす老夫婦となりつつある。

f:id:nsw2072:20190912202436j:plain:w360:left ひょんなことからマーク・トウェインの名前を久しぶりに聴いた。というのは随分前に録画したテレビ番組がミズーリー州のハンニバルに触れていて、この街に「マーク・トウェイン少年時代の家と博物館があって、2012年に100周年を迎え、全米50州、世界60か国からの訪問者を迎えたくらいで、町は観光業から大きな恩恵を受けている」とウィッキペディアにも書かれている。マーク・トウェインといえば、もちろん「トム・ソーヤ」であり、「ハックル・ベリフィン」である。一度は両方とも読んだはずで、子ども心に良いぞと思った・・・はずだ。良く覚えていないが。で、私にとってマーク・トウェインはそれでおしまい、完結だった。ところがアマゾンなんかでヒットしてみると、なんと全作品の訳書は全部で26冊のコレクションになって出ているほど、彼が書いているんだというんだね。そんなの全然知らなかったというか、小説を読まない私だから知らなかったと云うことだろうか。そして、彼は自伝も書いているのだけれど、自分が死んでから100年の間は出版しちゃならないと言い置いて死んだンだそうだ。それで2010年に「Autobiography of Mark Twain」が三分冊で出版された。なんと一冊ほぼ800ページ近い大著である。日本では訳書が柏書房からやはり三分冊で出版されているんだけれど、一冊1,000ページもあって、18,000円もして、三冊で54,000円だ。とても入手できない。原著は20-30-40ドルくらいなのに、余程手間暇がかかっていたのか、多分売れないと読んだのかも知れない。Amazon U.S.A.で見るとそれぞれaudibleにもkindleにもなっている。kindle版がhardcoverのそれぞれ倍くらいの値段がするのが想像を超えている。もともと、この自伝はどうやら口述筆記だったようだから、audibleで聴くのも良いかも知れない。
 ところがもう既に絶版になっているちくま文庫に「マーク.トウェイン自伝上下二巻」というのがある。これは1989年12月の出版で、Amazon日本のレビューに小谷野敦が「これはものすごく面白い。講演の時にどんなことが起こるかとか、『トム・ソーヤー』の背景とか、実に面白いのである。しかも翻訳がうまい。」と書いている。思わず「日本の古本屋」で探して買ってしまった。それにしてもどうして、この辺の自伝がうちの区の図書館にはないのだろうか。マーク・トウェインときたら、もはや文豪として扱うべきじゃないのか?あ、というか、日本人はどうせ自伝なんてのはろくなもんじゃないと思っているからなのだろうか。確かに日本の書店には「自伝もの」の分類がほとんどない。たまに書かれた「自伝」ものがあっても芸能人とか、死んだ政治家の鼻持ちならない提灯自伝だったりするからだろう。白洲次郎ものなんか見てご覧、鼻持ちならないも良いところだ。出版社が造った人気といっても良いだろう。

追記

 角川が出したMark Twainの文庫本が全部kindle版となって売りに出ている。これは面白そうだ。特にアダムとイブの日記を読んでみたい。

 夕方、あまりにも暑いので、外へ出ないからと、プールに歩きにいった。お婆さんたちは横に拡がって歩き、お爺さんは他人を無視して歩く。半時間歩いただけで、プールから上がる時に失われた浮力が重力をよみがえらせる。