ほぼ足りてまだ欲 その先

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愛新覚羅

清朝の王女に生れて―日中のはざまで (中公文庫BIBLIO)

清朝の王女に生れて―日中のはざまで (中公文庫BIBLIO)

どこで買った古本だったんだろう。
 清朝大親王の一人、第10代粛親王善耆の末娘(第十七女)だった愛新覚羅顕キ(=王へんに奇)(あいしんかくら・けんき)が書いた本。ちょっと手元があいたときに、ちゃっちゃと開いて拾い読みしているだけなんだが、兄弟はなんと38人いたという。もちろん父親には正妻の他に側室が何人もいたわけだから、わけがわからん。粛親王の葬式が巻頭にずらずらと書いてあるけれど、それはそれはおどろおどろしいほどの行列、葬式だ。彼女のふたりの姉のひとりがあの「川島芳子」(本名は愛新覺羅顯㺭(あいしんかくら けんし)である。愛新覚羅顕キ(=王へんに奇)(あいしんかくら・けんき)は2014年5月26日に95歳で死去。
 ちなみに愛新覚羅溥儀の末弟、愛新覚羅溥任さん(あいしんかくら・ふにん)は2015年4月10日96歳で死去。この人も長生きだなぁ。
 そういえば愛新覚羅溥儀の弟、愛新覚羅溥傑の長女、愛新覚羅慧生は1957年12月4日、学習院大学文学部国文科の同級生、大久保武道と天城山中で拳銃で心中。当時は話題になったそうだけれど、私はわずかに10歳、全然覚えておらない。当時は心中という言葉は珍しい言葉じゃなかったような気がする。太宰治だって、心中だ。この言葉には、なんとなく隠微なものを感じていた、ガキだった。

バス

f:id:nsw2072:20190918204414j:plain:w360:right おばさんというか、お婆さんというか、この辺の女性たちは、非常にざっくばらんというか、バスで隣り合ったというだけで、お婆さん同士がまるで知己のように話している。
 すぐ上の姉は55歳で脳梗塞で亡くなった。その上の姉が昨年の8月15日に亡くなって、だから今年が初盆だったから大変だった。両親はそれぞれ88歳まで生きていたというのにねぇ、子どもはもうじき50歳だけれど、男の子だけ高校を出ていないってことがバス停三つくらいの間に、全部わかってしまった。話している相手は連れ合って乗ってきた関係だったら、そんなの知っていそうだが、同じバス停から乗ってきて、隣り合って座ったというだけなのだから驚いちゃう。
 その後ろに座っていた老夫婦は、元は学校の先生か、アナウンサーだったのかというほど、やけにはっきり言葉が聞こえる旦那なんだけれど、のっけからずーっと「あれはきっとこれまでにも繰り返していたんだろ!またやるぞ、同じことを」というセリフを訳知りの感じで、ずっと降りるまで、何度も何度も、繰り返している。昔だったら、あの人はきっと神経衰弱なんじゃない?とでもいってしまいそうだが〔今はそんなことをいったら大変だ〕、一緒にいる奥さんらしきものがもうずいぶん慣れているのか「そう、そうね!」「ウンウン」と受け流す。偉大なるかな、女性。そこへいくと男はダメだ。
 バス+バス+都電+舎人ライナーと乗り継いでいるうちに雨は本降りになった。