ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

朋あり

f:id:nsw2072:20191007220903j:plain:w240:left もう40年近くLos Angeles郊外に暮らしている友人夫妻が2015年以来の、初孫の顔を見るための帰国中。夫妻のたっての要望で、やはり友人がやっている鰻屋さんでお昼の会。学生時代にスキー旅行のツアーを主催していたサークルのメンバーで、今となっては一番歳上が75歳で、一番下が、多分68歳くらいか。最盛期は年に二回、バス二台に分乗しての4泊5日のスキー旅行を催行していた。当時のスキー場は週末ともなるとリフトの順番待ちで大変だった時代だったが、学生が休みになる時期の平日に団体となって100名くらいの客が入るのだから受け入れ施設としてはウェルカムで、当時はリフト券つきだった。今から考えてみると、若い、エネルギッシュな時代だったからこそできたことで、今からあれをやれといわれたら、とてもとても様々考えて、やりたくなくなることだろう。齢を重ねることでわかってくることがいくらもある。その反対に、齢を重ねることで解決できなくなることも数限りない。
 7年ぶりに健康診断を受けて、やりたくないのに胃の内視鏡検査を受けたら初期癌が見つかって、命拾いをしたという仲間が、退院してまで4-5日だというのに、鰻が旨いとたっぷり食べていたんだけれど、あれで大丈夫なのかと人ごとながら心配する。

 それにしても、仲間との記念写真を勝手にSNSにアップするのには閉口する。メールを使って削除してくれろとリクエストする。その辺のネット・リテラシーについては年寄りは無頓着というか、理解できない人はひとりやふたりじゃない。私は人前に出てきて演説をする、あるいは唄を歌う、という人は、不特定多数の皆さんの前に登場しているんだから、もうアップするなと云う権利はないと思っているんだけれど、断り無しの記念写真アップはマナー違反だと理解している。これだって、法的な根拠がないけれど。ハラスメントな発言も、昔からの仲間だから良いんだとはならないことを理解できない人はいる。かつては我慢していた人たちだって、この時代になったらそうではないと云うことに判断が切り替わらない。そんなことを気にしていたら話が面白くないという人がいるけれど、その時の「面白さ」というものがどういうものの上に成り立っていたのか、と云うことを考えていない。

 話を盛るって方向にはあんまり抵抗感がない、と云う場面にも結構遭遇する。ひょっとすると自分もそれをやっているのかも知れない、無意識のうちに。