ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

キリスト教

f:id:nsw2072:20191022193736j:plain:w360:left キリスト教にかかわる書籍が本屋の棚で平積みになっていると、どうもついつい手に取り上げてしまうという癖があって、だから教文館の3階には上がらない。あそこにあがったら目移りがしてしょうがない。
 ところが新書なんかで「キリスト教のなんたら」というようなタイトルを手にしてみると、その多くはキリスト教徒でない人で、宗教学研究科とかなんとかってタイプの人で、こういう人の書いたものを読むと、そのほとんどが「キリスト教は如何に矛盾しているか」というような書きっぷり。旧約聖書がいっていることについて、こう解釈しているのだけれど、それでいながらこんな解釈をしているムキがあり、この齟齬をどう解釈するのだろうか、的なことを延々と書いている。そんなの、どんな宗教でもそれはある。あっても信心ってんで信者は目をつむっている。それをあげつらって喜ぶ。良いじゃん、みんなわかってそうしてんだから、といつも途中でそれがわかって放り出している。なかなか懲りない。

 とってつけたような祝日で、あてにしていた店は休日となっており、祝日安売りの肉を買って帰る。夜中に仕事から帰ってきた娘が「なんで私がいない時に牛肉を食うのか」と文句を言う。

流転の王妃の昭和史 (中公文庫)

流転の王妃の昭和史 (中公文庫)

 もちろん新しい出版物ではなくて、文庫版でも以前に新潮社から出ているもの。今日、教文館で偶然目にした。なんだか知らないけれど、最近この一族がらみの本にどうも遭遇する。この著者は愛新覚羅溥儀の弟である愛新覚羅溥傑の妻であるが、日本人である。戦後バラバラになったけれど、16年を経て再会する。