キリスト教にかかわる書籍が本屋の棚で平積みになっていると、どうもついつい手に取り上げてしまうという癖があって、だから教文館の3階には上がらない。あそこにあがったら目移りがしてしょうがない。
ところが新書なんかで「キリスト教のなんたら」というようなタイトルを手にしてみると、その多くはキリスト教徒でない人で、宗教学研究科とかなんとかってタイプの人で、こういう人の書いたものを読むと、そのほとんどが「キリスト教は如何に矛盾しているか」というような書きっぷり。旧約聖書がいっていることについて、こう解釈しているのだけれど、それでいながらこんな解釈をしているムキがあり、この齟齬をどう解釈するのだろうか、的なことを延々と書いている。そんなの、どんな宗教でもそれはある。あっても信心ってんで信者は目をつむっている。それをあげつらって喜ぶ。良いじゃん、みんなわかってそうしてんだから、といつも途中でそれがわかって放り出している。なかなか懲りない。
とってつけたような祝日で、あてにしていた店は休日となっており、祝日安売りの肉を買って帰る。夜中に仕事から帰ってきた娘が「なんで私がいない時に牛肉を食うのか」と文句を言う。
- 作者: 愛新覚羅浩
- 出版社/メーカー: 中央公論新社
- 発売日: 2012/06/23
- メディア: 文庫
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