ほぼ足りてまだ欲 その先

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差別

 人種差別、民族差別、そうした意識が歴史の中で大きく社会を混乱に陥れてきた。それは洋の東西を問わない。そんな意識を国民に植え付けることが国を支配する上で大きな流れを作ると思っている人間がいつまでもいるということか。今度のラグビーの盛り上がりを見ていると、国粋主義的な流れのように見えながら、実はその実態が遙かに国と民族を超えているという、驚くべき事態が発生していることがわかる。しかし、national anthemへのこだわりとか、国を背負っていると周辺が煽ることがむしろこの実態を覆い隠さんばかりでここら辺がちょっと気持ち悪い。
 実はチームを構成するひとりひとりのプレイヤーが自らの力の限りを尽くしてそのゲームに集中するというところに団体スポーツの面白さがあるのであって、それを国という単位で括ってしまうと思わぬ落とし穴に落っこちてしまう。
 差別意識を持つところまではそれは個人の勝手というか、考え方だから仕方がないといってしまうことはできるような気がするが、それを人前で表明し、その対象を口を極めて攻撃し、嫌な想いに陥れるという行為はもう既にオフェンスであって、恥ずべき行為だと思う。これは表現の自由とは全く次元の異なる行為である。
 人間が持っている価値観はそれはそれでかまわない。しかし、それを人が存在することを否定する考えであってはならない。誰もが存在し得るものであって、それを否定する権利は何人にもあり得ない。その点でアドルフ・ヒットラー日本第一党も同じポジションにいる。断じてあってはならない行為である。


 話は全く異なるのだけれど、スマートフォンにしてからの驚きは、今のスマートフォンのカメラはとんでもなくレベルが高いということだった。私が日頃使ってきたどのカメラよりもすぐれている。もっとも、それほどレベルの高いカメラを使ってきたわけではないのだが。